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菊亭家の編集履歴

2019-07-03 08:02:41 バージョン

菊亭家

きくていけ

菊亭家とは公家の家格の清華家の一つ。別名は今出川家という。

概要

藤原北家閑院流、西園寺家の庶流。家業は琵琶江戸時代の家禄は1355石、正保2年(1645年)に300石加増され1655石となり、摂家鷹司家の1500石を上回ることになった。明治維新後は侯爵脩季が叙爵)。家紋は三つ楓。

鎌倉時代末期、太政大臣西園寺実兼の四男右大臣今出川兼季(菊亭兼季)によって創設された。「今出川」は兼季の邸宅・今出川殿からとったもの、また「菊亭」はこの今出川殿に兼季が愛好したが数多く植えられていたことからとった名称で、兼季はこの双方を用いている。江戸時代中期に篠崎東海が表した有職故実解説書『故実拾要』によると、大納言までは「菊亭」を称し、大臣にのぼると「今出川」を称したのだという。


安土桃山にでた晴季は、羽柴秀吉関白任官を持ちかけたことで知られ、その後右大臣にのぼって朝廷と豊臣政権との間の連絡役として重きを成した。


貴族の中でも立場が弱く、江戸時代には「おめり申し上ぐべし」と言われていた。遠慮して申請せよという意味で、たとえば他家が二年目に官位を申請するならば、菊亭家は同じ官位を三年目に申請せよという具合である。ただし家領は清華家随一で、1355石余を有していた。清華家で1000石以上を有していたものは他にない。(財政的に恵まれていたからこそ遠慮が求められたとも考えられる。)


長く「今出川」と「菊亭」の双方を称していたが、明治維新後に改めて「菊亭」を名字としたものの、現在の子孫は「菊亭」ではなく「今出川」を名乗っている。


歴代当主

当主続柄
1今出川兼季西園寺実兼四男
2今出川実尹兼季の男子
3今出川公直実尹の男子
4今出川実直実尹の男子
5今出川公行実直の男子
6今出川実富公行の男子
7今出川公富実富の男子
8今出川教季実富の男子
9今出川公興教季の男子
10今出川季孝公興の男子
11今出川公彦季孝の男子
12今出川晴季公彦の男子
13今出川季持晴季の男子
14今出川経季季持の男子
15今出川公規徳大寺公信の男子
16今出川伊季公規の男子
17今出川公香伊季の男子
18今出川公詮伊季の男子
19今出川実興公詮の男子
20今出川誠季西園寺致季の男子
21今出川公言誠季の男子
22今出川実種西園寺公晃の男子
23今出川尚季実種の男子
24今出川公久尚季の男子
25今出川実順公久の男子
26菊亭脩季鷹司輔煕の男子、東山天皇の子孫
27菊亭公長脩季の男子
28菊亭実賢公長の男子
29菊亭直子実賢の女子

関連項目

朝廷 公家 堂上家 清華家 今出川家

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