ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要

今出川公彦の子、官位は従一位、右大臣


プロフィール


時代戦国時代安土桃山時代江戸時代
生誕天文8年(1539年)
死没元和3年3月28日(1617年5月3日
官位従一位、左大臣
主君後奈良天皇正親町天皇後陽成天皇
氏族菊亭家
父母父:今出川公彦
兄弟晴季、空慶
菊御料人(武田信虎の娘)
季持、日桓、長円、一の台

経歴

初名は実維、天文14年(1545年)に足利義晴から偏諱を受けて晴季に改名。天文17年(1547年)に従三位、永禄3年(1560年)武田信玄の妹の菊御料人を娶る。天正7年(1579年)内大臣、天正13年(1585年)に右大臣豊臣秀吉関白の職を晴季が斡旋した。しかし晴季は娘を豊臣秀次に嫁がせていたことで文禄4年(1595年)に秀次が謀反の疑いで切腹されたことで晴季も越後国に流罪となった。翌年に赦免。その後右大臣に偏任。


外部リンク

今出川晴季 - Wikipedia


関連タグ

公家 菊亭家 戦国時代 安土桃山時代 豊臣秀吉


第11代菊亭家第12代菊亭家第13代菊亭家
今出川公彦今出川晴季今出川季持

関連記事

親記事

菊亭家 きくていけ

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました