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一世一元の制の編集履歴

2019-04-13 17:35:58 バージョン

一世一元の制

いっせいいちげんのせい

一世一元の制とは、君主の在位中は元号を変えないという制度。

概要

従来の元号制度は、天変地異や政変、吉兆などで改元していた。そのため、元号の使用期間というのはとても短く何回も変わっていたため不便な面もあった(朝廷では改元しても、地方には情報がいきわたらないため元号がそのままだったという例すらある)。そのため、国家にとって一番不幸な君主崩御に元号の終焉とし、国家にとって一番の喜びである君主の即位を改元とした。


採用国

明・清(中国)

朱元璋が、1368年に南京で即位しこの年を「洪武元年」と定め以降、一世一元の制となった。

は、三代目の順治帝から一世一元の制となった。


明朝と清朝は、君主が交代してもすぐには改元せず、君主が交代した年の翌年元日から新元号が適用される「越年改元」が普通であった。


阮朝(ベトナム)

清の冊封国であったベトナムでは、1802年に嘉隆帝が阮朝を建てられるとともに一世一元の制が行なわれた。


日本

1868年、明治維新が達成され明治政府は天皇中心の国作りに着手する際、天皇の在位と国民をリンクさせ君民の距離を近くさせるためや、元号を正式に国家の暦とするため長期間使用できる一世一元の制を採用したとされる。

明治天皇は、慶応4年(1868年)4月、1月1日に日日をさかのぼって明治元年として「一世一元の詔」を発布し正式に一世一元の制となった。


明治の場合は、「立年改元(改元した年の元日まで遡りその年を新元号公布と看做す)」だか、大正昭和は「即日改元」であった。


戦後、昭和22年(1947)施行の皇室典範から元号の条規が削除されており、元号は法的根拠がなかったが、昭和54年(1979年)に元号法が制定され、一世一元が制度化された。


平成の改元は、元号法を根拠とした改元であり「翌日改元」であった。


令和の改元は、当初平成30年(2018年)12月31日をもって今上天皇が退位し「越年改元」、2019年1月1日から新元号とする案が検討されたが、宮内庁から「正月行事が続いて忙しい」ことを理由に4月1日に新元号令和」を発表、新天皇即位後の5月1日から令和が施行されることが発表された。


一世一元の一覧

元号年数通算年数西暦天皇
明治45年44年187日間1868年10月23日~1912年7月30日明治天皇
大正15年14年148日間1912年7月30日~1926年12月25日大正天皇
昭和64年62年14日間1926年12月25日~1989年1月7日昭和天皇
平成31年30年94日間1989年1月8日~2019年4月30日今上天皇
令和2019年5月1日~


大韓帝国

朝鮮は、長らく中国王朝の華夷秩序にあり独自の元号は使用できなかった歴史がある。また、独自の元号を建てたとしても中国王朝の皇帝から中止の命令が出ていた。

1897年、国号を大韓帝国と改めると共に元号も光武と改め、以後は1910年の併合により大韓帝国が消滅するまで一世一元が続いた。


関連タグ

元号王朝皇帝天皇国王

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