人物
1959年3月25日生まれ。大阪府茨木市出身。本名は鳥飼達夫(とりかい たつお )。
『替え歌メドレー』シリーズと『鼻から牛乳』でスマッシュヒットを飛ばした。
元は落語家を志しており、笑福亭鶴光門下であった。だが破門され、しばらくアルバイトで食いつないでいたとき、アミューズの大里氏を通して、桑田佳祐と交流をもつようになる。
ちなみに、彼の芸名は、桑田の変名のひとつ、嘉門雄三から与えられた。
1983年、「ヤンキーの兄ちゃんのうた」が大ヒット。翌年の「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」もヒットを飛ばした。
替え唄メドレーは彼の代名詞の一つで、1992年には替え唄メドレー1〜4を編集したバージョンで紅白歌合戦にも出場している。
ただ、替え唄の歌詞を作るのは結構苦労がいるらしい。というのは、元の歌の持ち主、また歌詞に登場する人物のイメージをズタズタにする(本人談)ため、後で怒られることが多いそうだ。
しかし、八代亜紀は「誰も知らない素顔の八代亜紀」(「リバーサイドホテル」)を自分で歌い、荒井注は「あなたはもう忘れたかしら 荒井注がドリフにいたのを」(「神田川」)という歌詞に対し、替え唄メドレー3で嘉門と共演し、往年のギャグを披露している。さらには先述の紅白歌合戦で「キャラメル拾ったら箱だけ~」(「函館の女(ひと)」)を北島三郎御大の目の前で披露した(ちなみに本人はずっこけていた)。
桑田佳祐と小室哲哉と槇原敬之とつんく♂は自身の代表曲を替え歌にするのを快く許可したという。
(替え歌といえども著作権も発生する為、ライブで歌うなりCDリリースする場合は原曲の著作権者(作曲者・作詞者・歌唱者)、及び歌詞の中でネタにした人物や団体等の許可を得ている。またライブなどで披露される所謂「没ネタ」についても、音源には残さず歌唱することのみ認めてくれたものに限られることに留意。)
嘉門の替え歌メドレーに入っていることで、今なお生命を持つ歌もあるだろう。ちなみに「森のくまさん替え歌騒動(嘉門とは無関係)」において、替え歌の大家として替え歌の在り方をコメントした事もある。
また、コミックソングだけではなく、「僕たちは本当に正しい道を進んで来たのだろうか」と呼びかける、メッセージ性の強い名曲も歌い上げる(「明るい未来」など)。この辺は桑田や、所ジョージなどの姿勢と共通する。
歌ものが多いが、アルバムにはミニコント的なショートソングが結構収録されていたりする。
アルバム等でサングラス着用のイメージが結構あるが、基本的にはライヴや歌を披露する場でのみ着用らしく、それ以外ではメガネを着用している。
落語家を目指したのはラジオのパーソナリティに憧れた事が強く、落語そのものではなかったらしい。
2017年3月25日、58歳の誕生日を期に名前の部分をカタカナ表記にした嘉門タツオに改名した。
替え歌以外のエピソード
実は替え歌以外でもいくつかエピソードがある。例えば…
- 「業界人間ベム」は歌詞の一部が当時のレコ倫の基準にひっかかり歌詞を変えざるをえなかった事(ちなみに修正版の方が下ネタ全開なのだが…)。
- 「ゆけ!ゆけ!川口浩」では歌詞の中で茶化していた部分の一つが実は事実であった事により変える事になった。
- 「NIPPONのサザエさん」は当初「サザエさんグラフィティ」のタイトルで下ネタ部分を削除して現在のものに作りなおしている。
- 「ハンバーガーショップ」は元々「マクドナルドキラー」でマクドナルドを茶化した曲であった。ちなみに歌詞の「大企業」の部分は「マクドナルド」だったらしい。
- TOKYOFMをキーステーションとして90年代に放送していた彼の番組「爆裂スーパーファンタジー」は音楽が主体となりやすいFM番組らしからぬ「ネタ投稿コーナー」が大半を占めていた。
- 怒りのグルーヴはイチャモンをつけるネタ曲(童謡編など)だったが、阪神・淡路大震災を当時身をもって経験した彼は当時の内閣の震災に対する対応と実際被災地で起きていた問題を震災編で扱った。
- 読売テレビの森たけしアナと2016年に「崎陽軒シウマイ弁当の歌」を作り、崎陽軒の社長に直談判の上、歌を披露して公認を取り付けた。(関西ローカル番組で取り付けた所が放送された。)
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笑福亭鶴光:元師匠