概要
1976年1月から1992年12月まで、TBS系列(1987年10月1日以降のテレビ山口除く)および福島テレビ(フジテレビ系列、放送開始から1983年9月まで、1983年3月31日まではTBS系列とのクロスネット)で放送された。
ダービーのその名の通り、競馬とクイズを組み合わせた番組。3組の出場者が、5人の解答者の中から正解すると思う解答者1人に持ち点を賭け、得点を増やしてゆく。
ロート製薬の1社提供番組でもあった。
視聴率40%を取った事がある、超国民的番組だったが、その裏には、テレビが1家に1台(1人に1台の時代は1980年代末期のバブル期を待たねばならない)、しかも現在のような赤外線リモコンがなく手で回すロータリー選局という面倒があった環境の中、昭和のオバケ番組と言われた『8時だョ!全員集合』の援護射撃が多分にあった。
1983年にはタイムボカンシリーズ『イタダキマン』を返り討ちにし打ち切りの憂き目にあわせているが、この頃から『全員集合』の方がフジテレビの『オレたちひょうきん族』に圧され、19時30分枠を充分に援護できなくなっていた。
そこに人気漫画の原作者自ら積極的に参加して高いクォリティを保持した『ハイスクール!奇面組』をフジテレビが投入、結果『クイズダービー』もついに無敗の座から下ろされることになった。
司会は大橋巨泉が放送開始から務めていたが、1990年4月から番組終了までは徳光和夫が務めている。
なお、2012年4月に1度だけ復活しており、この時は上田晋也が司会を務めているほか、テレビ山口でも放送されているが、これは単独の番組としてであり、他にも特別番組のアトラクションとして4度復活してはいる。さらにこれら4度の特番に関してもテレビ山口でも放送されている。
同局の金スマで放送当時のセットを復刻して大橋巨泉がゲストの回で二度復刻版クイズダービーを行ったが、二度目は大橋巨泉が最後のガン闘病の前に行われており、身体面に対して万全の体勢で収録された。その後、彼は闘病の末にこの世を去る事となりこれが彼の人生最後のクイズダービーとなってしまった。
主な出演者
司会者
レギュラー回答者
1枠
2枠
井森美幸(27連敗という、信じられない屈辱の記録を持つ)
3枠
はらたいら(27連勝という、神がかっていたとしか言いようのない記録を持つ。しかも2度達成)
4枠
竹下景子(通称:三択の女王)
5枠
※もともと5枠はレギュラー枠だった。ただし放送開始から半年で6枠から5枠に減らされたためゲスト枠に格下げ。