ED78形電気機関車に関するイラストにつけられるタグ。
概要
1968年に奥羽本線福島駅~米沢駅間(板谷峠区間)及び仙山線作並駅以西を直流電化から交流電化に変更し、併せて奥羽本線米沢駅~山形駅間を新規に交流電化するに際して、いずれも勾配区間を経由する両線に適した車両の開発が必要となった。それに際し先にED93・ED75形501号機で試用されたサイリスタ位相制御に交流回生ブレーキを組み合わせた急勾配対応交流電気機関車である。
試作車としてED94形が1967年に新製され、各種試験の後1968年から量産車が登場。同年に9両、1970年に仙山線の運用統一(各種交流試作機の置換を含む)のために2両、1980年に「あけぼの」24系化の関連で2両(※1)、計13両が新製された。なお、ED94形も後に本機の901号機に改造編入されている。
国鉄分割民営化に際してはJR東日本にEF71形とともに承継。
1991年に奥羽本線の福島駅~山形駅間が山形新幹線のために改軌されたことにより同区間での運用が終了。EF71形は転用が効かず全廃されたが本機は仙山線関連での運用に場を限り(※2)ながらも引き続き運用された。
仙山線を通過するコンテナ・重量貨物列車を中心に、時折臨時客車列車を牽引するなどして晩年を過ごしたが、山形新幹線新庄開業・仙山線貨物列車の廃止などにより2000年までに全廃された。
誕生までの歩み
奥羽本線板谷峠越え区間・仙山線はいずれも最大33パーミルの勾配を持つ、国鉄の幹線系線区としては碓氷峠・瀬野八と並ぶ急勾配区間である。福島~米沢間は1949年に、当時交流電化は国内で実用されていなかったため直流電化とされ当初はEF15形、1951年からはEF15形に回生ブレーキを追設改造したEF16形、1964年からは抑速発電ブレーキを装備したEF64形が運用されてきた。しかし、1968年10月1日の「ヨン・サン・トウ」ダイヤ改正で奥羽本線の米沢 ~ 山形間が交流電化されるのにあわせ、同区間の交流電化への切替が決定。また交流電化試験線区で一部に直流電化区間を有した仙山線も全区間の交流電化切替が決定し、両区間で使用する機関車の開発要件として、次の条件が求められた。
- 特別な運転技量を要する連続した勾配区間で使用可能なこと。
- 脆弱軌道で軸重制限のある仙山線への入線も可能であること。
このため構造上主回路に抵抗器をもたず抵抗制御とできない交流電気機関車は発電ブレーキによる抑速運転ができないことから、開発初期より抑速ブレーキとして交流回生ブレーキ方式の採用が検討された。
そして交流回生ブレーキを搭載、軸重可変機能付の中間台車をもつ試作機関車ED94形を製造し、各種試験の後に量産の本務機仕様機関車として、試験過程で必要が認められ追加された板谷峠区間に特化した補機仕様のEF71形電気機関車とともに設計・新製されたのが本形式である。
ED78とEF71
なお、当機や他の交流機(ED75・ED76)よりもEF71形のほうが「定格出力が大きい」ので強力で「板谷峠における本務機であった」という誤解も一部ではあるが…
- EF71は定格出力自体はED78より大きいもののあくまで板谷峠区間での熱容量不足等を回避するために余裕を持たせた結果であり、出力を上げること自体は余録でしかない。また、開発経過自体も同機の項目にもあるように「ED78では長時間回生ブレーキ運転における主電動機熱容量超過回避及び定格電流についての不安がある部分を補うために追加で開発された」ものであり、設計前提及び当初の運用も「ED78=当時の奥羽本線電化区間全体における本務機」、「EF71=板谷峠区間での補機」であった。(※3)
- EF71は粘着係数上はED78を大幅に下回る直流F形機並みの牽引能力しか持っていない。また、直流機の制御方式をそのまま採用してしまった関係から運転時には空転が頻発していた。牽引能力的にも交流D形機を上回るものではなく、平坦線においては弱め界磁装備がないため特に高速域での運行には向かない。一方、交流D型機は平坦線上ででは直流F級機に伍する活躍ができるが、板谷峠のような異常ともいえる40‰近い急こう配では、機器の発熱により耐久性に不安が出るため平坦線のような使い方はできず、機器の耐久性にマージンを持たせたEF71のような車輛がやむなく必要になる(EF71自体が急造機であり、短期間で設計製作されたため初期トラブルが多発した。)
- 1970年、寝台特急「あけぼの」が新設された際には当初はEF71単機での牽引となっていた(※4)。が、20系客車の改修による重量増が原因で空転問題が発生。解決策として1977年以降は本機主体の重連牽引になった。さらに1980年の24系客車への置換に際しては粘着定数に配慮した結果本機の方が増備(12・13号機)され、本機での重連牽引に統一された。その後、80年代半ばに牽引定数が減るとEF71形も混用されるようになるが、板谷峠区間での運行が1990年に終了するまで本機主体での重連牽引は踏襲された。
- にもかかわらず出版メディアなどでは、80年代前半からのスポンサー事情(模型製品)から模型製品の少ないED78よりも、商品展開にうまみのあるEF71のみを過度にピックアップする傾向があった。そのような場合、EF71の空転問題も20系の重量増加もまず語られることがなく、EF71の感情論的優越ばかりが語られる傾向が現在に至るまで続いている。
後の世代への影響
また、ED94製造時からの尖鋭的な試みとして「ユニバーサルロコ」として本形式を母体に、機器の入れ替え・増設により仕様違いを製造する事は当初より計画されていた。実際に本機より後に新製されたED76形500番台・ED75形700番台は耐寒構造や機体構成から言えば本形式のバリエーションともいえる。
現在の状況
保存されているのは量産型トップナンバーの1号機。
廃車後長らく利府駅構内留置ののち、東日本新幹線車両センター(宮城県宮城郡利府町)敷地内にて静態保存されていたが、2015年6月に、生まれ故郷である日立製作所水戸工場に保存目的で移設された。
どこかのアニメで登場しているともいわれるが、作画担当が車両の書き方の基本をしらない素人のためデッサンその他が全く狂っており、実際には名状しがたいものとしか言いようがない。
関連イラスト
注記
※1:この2両が国鉄が最後に新製した交流電気機関車となった(ED79形はED75形700番台からの改造)。
※2:JR移行後ほどなく路盤強化はされていたが路線の一部にオーバーハング角の関係でEF71の寸法では入線できない区間があり、同線への転用はないまま廃車となった。仙山線貨物列車は高速運用列車が多い東北本線への出入りもあり、急勾配区間補機としての運用前提だったEF71ではダイヤを維持できなかったとみられている。
※3:碓氷峠区間を含む信越本線におけるEF62形(本務機)とEF63形(碓氷峠区間専任補機)の関係に近いものと考えていただければよいであろう。ただし、EF71も補機中心としながら本務機運用に必要な装備も備えている。電化直後こそ当初の役割分担で使われていたが、1970年のED78増備とそれに伴う仙山線の機種統一がなされる中で運用が変化していき、EF71形が山形以南を単独運用される場面が増えた。「EF71が本務機であった」との誤解はこの当初想定外の運用変化も一因であろう。
※4:当初の20系あけぼのの編成重量は13両で410tとEF71単機で牽引可能であった。のちの20系客車の改造により470tへと増加、EF71は積雪・悪天候時を中心に深刻な空転問題を引き起こしダイヤ乱れの原因となっていった。