フランチェスコ(Francesco:伊)、フランシス(Francis:英)、フランソワ(Francois:仏)、フランツ(Franz:独)などに同じ。
1. アッシジのフランシスコ - 中世イタリアのカトリック修道士、聖人。
2. フランシスコ - 1.に由来する第266代ローマ教皇(在位2013年~)。下記で詳述。
3. フランシスコ・ザビエル(ザビエル) - 16世紀のカトリック宣教師。日本にキリスト教(カトリック)を伝えた。
4. フランシスコ・ルイス・アストルガ - 「サクラ大戦奏組」の登場人物。
2のフランシスコ
1936年アルゼンチン生まれ。本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。イエズス会所属。
イタリア系移民の出身で、大学で化学系を専攻し卒業後司祭を志す。
当人は日本あたりでの宣教師になりたかったそうだが、21歳のときに片肺を摘出してしまっており、当時のアルペ総長(日本滞在経験あり。初代の日本管区長)にその点を指摘されて「あなたには辛いでしょう」といわれて、ブエノスアイレスにとどまったと述べている。
その後ブエノスアイレスの補佐司教、協働大司教を経て、1998年に教区大司教に着任した。2001年には枢機卿に親任された。
ベネディクト16世の退位にともない、2013年3月に行われたコンクラーベで教皇に選出され、かつてのイタリアの聖人「アッシジのフランシスコ」(フランシスコ会の創始者、修道士の元祖のような人物)にちなみ「フランシスコ」の名を教皇名として名乗ることとなった。
フランシスコの教皇名を選んだ最初の教皇だが、欧州圏の慣例に従って「1世」はつかない。彼が教皇の座を自発的に辞するか、天に召された後に、別の人物が同じ「フランシスコ」と名乗ることになった場合に、はじめて第266代ローマ教皇たる彼は「フランシスコ1世」と呼ばれることになるのだ。カトリック側の意向に沿ったタグをつけるとするなら「フランシスコ(ローマ教皇)」となるだろう。
初のアメリカ大陸出身のローマ教皇で(ただし上記の通りイタリア系である。父がイタリア移民1世、母もイタリア移民の血統である)、また初のイエズス会出身者の教皇でもある。
1271年ぶりの非ヨーロッパ系(8世紀の教皇であるグレゴリウス3世がシリア出身で、それ以来である)ということで教会に新風を吹きいれることが期待されているが、あくまでコンクラーベで枢機卿たちの投票で選ばれたローマ教皇であるため、カトリックとしての基本線は外すことはない。
祖国で同性結婚が法律で認められた時には「同性婚は、神の計画に対する破壊的な攻撃」と過激な発言を残している。ただし彼らの権利については一定の保護を求めてもいる。聖職者の同性愛についても、傾向があっても自身をきちんと律していればとやかく言わない方針である(行為は当然アウトであり、また同性愛ロビー活動の存在を「深刻な問題」と断じている)。性癖そのものと行為は厳密に区別する方針をはっきり示したといえる。
保守的なようで進歩的なところもある、というより信仰という譲れない基本線を守りつつも現実路線を模索しようとしている節がある。
一方、共産主義について楽観視し過ぎているともされており、政府公認と非公認でカトリック教徒の別れている中国において、政府側が任命した7人の司教全員を承認してしまった点については、バチカン側に忠誠を誓う政府非公認のカトリック教徒達が迫害されてしまう下地作りに加担してしまっているとして、枢機卿のジョゼフ・ゼンから批判されている。
ベネディクト16世と比較すると、ただ一つを除き教義まわりの発言はそれほど差はないが、それ以外の行動ぶりが際立って違っている。かい摘んで述べると:
- 第一声が「兄弟姉妹の皆さん、こんばんは」
- 最初の祝福を与える前に自分に神からの祝福が与えられるように祈ってほしいとリクエスト
- ロザリオ・祭服一式・靴はそれまで使っていたものをそのまま使用続行
- 翌日に荷物を預けていたホテルで宿泊費の支払いを自腹で済ませたとされる
- 最初のミサ説教で、慣例となっている教皇庁が用意していた原稿を一切使わずに朗読内容の解説を軸に説教
- ミサや集いなどでは触れ合い重視。着座式の時間も3分の2に短縮、残りを前座の触れ合いに当てた
- 教皇宮殿に住まずに教皇庁勤めの枢機卿たちの宿舎に同居(宮殿はオフィスとしては使用)
- 夏に別荘には滞在せず、そのまま普段通り過ごす
- 電話をする際は側近や交換手に掛けさせるというそれまでの慣例を破って、自分で受話器をとって直接電話をしているという。ブエノスアイレス時代の新聞屋や歯医者、さらに友人や関係者や、果ては苦難に直面した人や自分に手紙をくれた人などに直電していると報じられたことがある。
シビル・ユニオンの容認
同性婚については世俗の法律においても反対という立場であるが、結婚ではない法的保護「シビル・ユニオン」については容認の立場をとっていた。
教皇になる前、生まれ故郷であるアルゼンチンの都市ブエノスアイレスにして大司教の役職にあった時にもこれを表明していた(クリスチャントゥデイ教皇フランシスコ、同性愛者の「シビルユニオン」支持を明言 歴代教皇初)。
2020年10月21日、これを積極的なものとし、推進派としての立場を明らかとした。
ローマ国際映画祭で上映された自身をテーマとしたドキュメンタリー映画において、彼は「同性愛者には、家族の一員になる権利がある」「彼ら(同性愛者)は神の子であり、家族の一員になる権利がある。誰も見捨てられたり、惨めな思いをさせられたりしてはならない」「我々はシビル・ユニオン法を作らなくてはならない。そうすれば、(同性愛者は)法的に保護される」と発言。
フランシスコは同性愛者のために「立ち上がった」のだとも発言しており、同性愛者の権利の容認発言としてはこれまでで最も明確なものと受け止められている(BBCニュースローマ教皇、同性カップルの法的保護を支持 「家族になる権利ある」)。
フランシスコはカトリック史上初のシビル・ユニオン肯定のローマ教皇である。
先代のベネディクト16世とその前のヨハネ・パウロ2世は世俗の法律としての同性結婚だけでなくシビル・ユニオンにも反対派であり、カトリック信徒たちもこれを肯定してはならない、と説いていた。
ヨハネ・パウロ2世が教皇だった時代に彼の認可のもと枢機卿時代のベネディクト16世(ヨゼフ・ラッツィンガー)が記したヴァチカン教理省の公式文書『同性愛者間の結び付きに法的認知を与える提案についての諸考察』の「II.同性愛者の結び付きの問題についての様々な立場」の箇所では
「同性愛者の結び付きが法的に認知され、あるいは結婚に属する法的地位と諸権利が与えられている状況においては、明確かつ断固たる反対が義務となります。人は、そのような深刻に不正な法律の施行や適用へのいかなる種類の形相的協力も避けなければなりません。
そして可能な限り、それらの適用のレベルにおける質料的協力も避けなければなりません。この領域においては、誰でも良心的反対の権利を行使することができます。」
という文章があるが、フランシスコはこれを180度転回させた形となる。