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東トルキスタンの編集履歴

2021-02-27 12:37:58 バージョン

東トルキスタン

ひがしとるきすたん

中央アジアの地域。中華人民共和国新疆ウイグル自治区。

概要

中央アジアの地域で現在は中華人民共和国新疆ウイグル自治区となっている地域。


中央アジアはテュルク系民族が多く住む地域でもあるのでトルキスタンとも呼ばれるが、そのうちパミール高原を境にした東部の地域であることから東トルキスタンの名がある。

概ね、北に天山山脈、南には崑崙山脈、東は甘粛省に接している。


全体に乾燥しており、西部のタリム盆地には広大なタクラマカン砂漠が広がるが、周囲の高山からの雪解け水を水源としたオアシスが点在している。


歴史

この地域には古来中国との貿易や戦争が多かったせいで漢文資料が多く残されている。それによると、紀元前後にはオアシスを中心とした都市国家が林立し、興亡を経て大きく5つ前後の国にまとまっていたという。西から疏勒(そろく)国(現在のカシュガル)、于闐(うてん)国(現在のホータン)、亀茲(きじ)国(現在のクチャ)、焉耆(えんぎ)国(現在の焉耆回族自治県)、高昌(こうしょう)国(現在のトルファン市高昌区)、鄯善(ぜんぜん)国(楼蘭国ともいい、現在は砂漠に消えた遺跡の場所について諸説ある)などである。これらの国々は北の匈奴、東の前漢後漢、インドのクシャーン朝などの圧力を受けながらほぼ独自の王朝を築いていたらしい。やがて突厥の征服を受けることになるが、オアシス国家の人々は交易商人として活躍し、東西の貿易を活発化させていったという。彼らの用いた交易路が、いわゆるシルクロードである。唐の衰退とともに、この地を支配するようになったのがトゥルク系の遊牧民、ウイグルであった。彼らの支配と定住によって、後世に至るトルキスタン、ウイグル人の地が成立していった。またイスラム教が伝播し、次第に仏教に代わって多数派となっていった。やがてモンゴル帝国オイラト系のジュンガル帝国の支配を経て朝に征服されて以後は中国領となる。


核実験

1964年から北京政府ロプノール湖にて、実験を開始


1964年10月16日に初の核実験が、1967年6月17日には初の水爆実験が行われた。中国政府はこれまで46回におよぶ核実験を行ったと公式発表しているが、実際は、小規模の実験も含め、同地における核実験は50回以上に及ぶと推定されている。


独立運動

東トルキスタンでは住民暴動が頻発しており、2009年7月に区都ウルムチでウイグル族による大規模暴動が起きて以後、収束するどころかますます頻発するようになってきている。


2013年6月、トルファン地区ピチャン県で住民グループによる暴動が発生し、警官隊と衝突して35人が死亡。北京政府は、「これは外国勢力が介入したテロだ」と断定したが。その少し前の4月には、カシュガル地区マラルベシ県で、住民グループと警官達が衝突、計21人が死亡する事件が起きている。


東トルキスタンにはウイグル人による『東トルキスタン独立運動』を推進する勢力が存在し。この独立勢力は中国にとって驚異であり、2012年2月にトルコを訪問した習近平副首席(当時)は、トルコ首相との会談で「東トルキスタン独立運動を阻止してほしい」と嘆願した。


2016年後、東トルキスタン獨立運動は発生していません。


ただし

  • 中東やロシアは中国の無実を支持し参照
  • 国連も中国の無実を支持し参照
  • もっともデマを流してきたアメリカですら「証拠不十分」と認めた参照
  • 欧米・インド・日本などの反中側がウイグル問題の根拠に挙げていた論調を唱えてきた「専門家」は過激カルト思想を持つ極右宗教家だとされている参照

別名・表記ゆれ

ウイグル


関連

中国 チベット 南モンゴル 内満洲 …東トルキスタン(ウイグル)とともに現在の中華人民共和国を構成する領土。

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