メンバー
桑田佳祐・・・メインボーカル、ギター、ハーモニカ
サザンオールスターズのリーダーにして日本を代表するシンガー。
茅ケ崎に生まれ、茅ケ崎の海をこよなく愛している。逸話でも分かるように日本への愛を奏で世界の平和を願う詩人。あとちょっとエッチ、否、スケベ。
詳しくは記事を参照。
原由子・・・キーボード、コーラス、ボーカル
サザンのキーボードでありコーラスでありボーカルであり桑田さんの妻。
その歌声で我々を癒しの世界に導いてくれる。サザンのアルバム一枚につき一曲、彼女がボーカルを務める曲が入るのはほぼ恒例となっている。
松田弘・・・ドラム、コーラス、ボーカル
日本でも指折りのドラムの名手。彼の刻むリズムから曲を作っていくことも珍しくない。
キーの高い声が特徴で、サザンの曲の中でも数曲彼がボーカルを担当している曲がある(「松田の子守歌」「夏の日のドラマ」他多数)。
関口和之・・・ベース、コーラス、ボーカル
おひげと帽子がキュートなサザンのベース。ベースの腕前には桑田さんも感心してしまう。
ウクレレ界でもかなりの名手として知られており、ソロでの活動も活発。
「ムクが泣く」「最後の日射病」ほかでボーカル担当。
野沢秀行・・・パーカッション、コーラス、ボーカル
通称毛ガニ。サザンのリズムチーム。俳優としても活動している。
桑田さん曰く「ホラ吹き」らしい。ぞのことは熱心なサザンファンなら誰もが知っている。島田洋七に並ぶホラを、メンバーもファンも楽しみに待っている。
なお、「Five Rock Show」でボーカルをやっているが、どれが毛ガニさんの声だか未だに判明していない。
元メンバー
大森隆志・・・リードギター、コーラス、ボーカル
「自分よりギターが下手だから」という理由で桑田にスカウトされた。
実際には名うてのギタリストであり、毛ガニと並び、ライブでの盛り上げを担当。また「猫」「Still I Love You」などでボーカルを担当。
2001年8月7日に脱退し所属していたアミューズとビクターからも離れ独立。
2006年に覚醒剤と大麻の所持が発覚し逮捕・起訴される。桑田は「当たり前ですけど社会とかファンの皆様とかずっと見守って応援してくれた皆様に今できることは罪を償うことでしょ」「それからですよ、私が彼を半殺しにするには。ギターで殴ります」「いいスタッフを自分で見つけろ、叱ってくれるスタッフとか傍に置きなさい」「人間関係作るのサボるな」と叱責した。
今はソロ歌手、またライターとして活動。
どこまでも元気で、優しくて、楽しい「歌謡ロック」
サザンの楽曲は、夏をイメージさせるロックやバラードから、愛や男女を歌うもの、ヒップホップ調の曲やテクノ系、エロス、和風、社会批判世相風刺、サスペンスに至るまで非常に幅広いジャンルの曲を世に送り出し続けている。
ビートルズ、ビーチボーイズ、ボブ・ディラン、エリック・クラプトンらの洋楽、加山雄三、美空ひばりらなど日本の歌謡曲文化、植木等やザ・ドリフターズのようなコミックバンド的軽妙さなどが渾然一体となった音楽世界をつくりあげ、時折見せる挑戦的で斬新、前衛的な姿勢は、時に売り上げの不振を生み出す要因になったりもしたが、「TSUNAMI」の大ヒット以降はそのキャリアや影響力が再評価され「国民的バンド」とも呼ばれるなど、日本の大衆音楽史において不動の地位を獲得しつつある。
代表的な楽曲と主な活動
70年代 : 1978年「勝手にシンドバッド」にてデビュー。当初はコミックバンド然とした取り上げられ方であったが、「いとしのエリー」の発表とヒットにより評価が変わる。他、「思い過ごしも恋のうち」、「C調言葉に御用心」などリリース。79年の年末にNHK紅白歌合戦へ「いとしのエリー」で初出演。
80年代 : 「チャコの海岸物語」、「ミス・ブランニュー・デイ」などリリース。82年、83年の年末にNHK紅白歌合戦へ出演するも、この後は長期にわたり出演せず、年末は年越しライブに注力することになる。83年、プライベートレーベル「タイシタレーベル」設立。デビュー以来ほぼ年に1枚のペースで精力的にアルバムをリリース、ライブを重ねていたが、85年にアルバム「KAMAKURA」をリリースした後の86年、原の産休に合わせて活動を休止。各メンバーがソロ活動を行った。88年、デビュー10周年にあわせ「みんなのうた」を発表し、ライブ「1988大復活祭」を開催し活動再開。89年「さよならベイビー」が初のオリコンチャート1位獲得。
90年代 : 「エロティカ・セブン」、「涙のキッス」、「[[あなただけを_〜Summer_Heartbreak〜」、「愛の言霊〜SpiritualMessage〜」が4作品ミリオンセラー。
他に「真夏の果実」、「希望の轍」、「シュラバ★ラ★バンバ」、「マンピーのG★SPOT」、「太陽は罪な奴」をリリース。1998年、デビュー20周年。ベストアルバム「海のYeah!!」発売。大規模野外ライブ「モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~」開催。同年10月、アルバム「さくら」を、99年に怪曲「イエローマン~星の王子様~」をリリースし、初のドームツアー「Se O no Luja na Quites 〜素敵な春の逢瀬〜」を敢行。
2000年代 : 「TSUNAMI」が歴代CDシングル売り上げ一位を記録、「HOTELPACIFIC」、「涙の海で抱かれたい_〜SEA_OF_LOVE〜」、「I_AM_YOUR_SINGER」が50万枚以上を売り上げる結果(2008年オリコン3位)となった。2000年、桑田の故郷である神奈川県茅ヶ崎市にて初の野外ライブ開催。市民の活動と協力によって実現した「茅ヶ崎ライブ」として伝説となる。この頃より「国民的バンド」と呼ばれはじめる。一方でこの頃よりバンド活動の一時休止、ソロ活動、そしてバンド再開を繰り返す様になる。05年、7年ぶりのアルバム「キラーストリート」リリース。08年デビュー30周年を節目として無期限の活動休止を発表。メディアで「解散か」と騒がれるも、解散に関しては否定。記念ライブ「真夏の大感謝祭」を開催し活動休止。
2010年代 : 休止期間中の11年、同年起こった東日本大震災の被災者支援を目的とした企画盤「Let's_try_again」にメンバー全員参加。デビュー35周年である13年6月25日に活動再開を発表。8月7日に新曲「ピースとハイライト」の発売と記念ライブツアー「灼熱のマンピー!!G★スポット解禁!!」開催を発表。新聞の号外、NHKを含む多くのメディアで報道されるなど、大きく取り上げられることとなった。14年、年越しライブ「ひつじだよ! 全員集合!」開催し、ライブ中継の形で31年ぶりにNHK紅白歌合戦に出演。15年には10年ぶりとなるアルバム「葡萄」リリース。18年、デビュー40周年をむかえ企画アルバム「海のOh,Yeah!」リリース。同年末、NHK紅白歌合戦にNHKホールへ出演し、特別企画大トリにて「希望の轍」「勝手にシンドバッド」を演奏。ホールと茶の間を狂乱の渦に巻き込み平成最後の年越しとなった。19年、40周年記念ライブツアー「“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!」開催。
活動は続く。
サザンオールスターズのオリジナルアルバム
1.熱い胸さわぎ(1978年)
2.10ナンバーズ・からっと(1979年)
3.タイニイ・バブルス(1980年)
4.ステレオ太陽族(1981年)
5.NUDE MAN(1982年)
6.綺麗(1983年)
7.人気者で行こう(1984年)
8.KAMAKURA(1985年)
9.Southern All Stars(1990年)
10.稲村ジェーン(1990年)
11.世に万葉の花が咲くなり(1992年)
12.Young Love(1996年)
13.さくら(1998年)
14.キラーストリート(2005年)
15.葡萄 (2015年)