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ピルサドスキーの編集履歴

2021-08-22 23:51:10 バージョン

ピルサドスキー

ぴるさどすきー

かつて日本でも活動した牡の競走馬。

※実在の競走馬かつ2021年現在は海外に渡っているため、詳細は専門の資料等を参照して頂きたい。


概要

生年月日1992年4月23日
出生国アイルランド
欧字表記Pilsudski
性別
毛色鹿毛
ポリッシュプレセデント
ココット
母の父トロイ
競走成績22戦10勝

祖父はノーザンダンサーの後継種牡馬の1頭で、日本調教馬でもアグネスワールドビコーペガサスなどの父であるダンジグ。

半妹に、2002年の秋華賞エリザベス女王杯を制したファインモーション(1999年生、父デインヒル)がいる。

また半姉のハニーバン(1991年生、父アンフワイン)は繁殖牝馬として活躍し、その牝系からは2014年の中山大障害を制したレッドキングダムや、熊本産馬初のJRA重賞馬ヨカヨカを輩出している。


欧米での活動

1994年に欧州戦線でデビュー。

3歳となった1995年7月にようやく初勝利をあげる。


1996年に実力を発揮し始め、米国の芝中距離最強馬決定戦であるブリーダーズカップ・ターフを含めてGⅠを2勝する。

翌1997年に英国のエクリプスステークス、チャンピオンステークスも含めてGⅠ3勝。

キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと、フランス凱旋門賞でも2着に食い込んだ。


1997年ジャパンカップ

遅咲きながらも国際的にも実績をあげたピルサドスキーは1997年限りで引退し、日本のJRAに買い取られて種牡馬としての来日が決まる。

お披露目会も兼ねた現役生活最後のレースとして、国際招待競走であるジャパンカップに参戦する事になった。


ところが当日、出走直前のパドックにて放送事故が発生する。

理由は不明であるが試合前にピルサドスキーが馬っ気を起こし、その局部が大型モニターやテレビカメラに中継されたのである。

この有様に馬券購入を検討する客たちは勝負師の定石や嫌悪感を理由にピルサドスキーの分を取りやめる者が増え、最終的にバブルガムフェロー(3.7倍)、エアグルーヴ(4.0倍)に次ぐ3番人気(4.6倍)3番人気となる。

その後実際のレースでは、最終直線で内から上がり最速の末脚を発揮。

先頭を走っていたエアグルーヴをクビ差差し切り、GⅠ6勝目となる勝利を収めた。

(JRA公式チャンネル)


競馬評論家の大川慶次郎は自身の著書で、ピルサドスキーが馬っ気を出したのは発情ではなく「俺が一番強い!王様だ!」というアピールを他の出走馬に対して誇示するための、動物行動学的見地に沿った行動であったと推察している。


一連の出来事についてその他詳細は外部サイトや専門誌等を参照していただきたい。


引退後

以上のような大騒動を経て現役を引退し種牡馬入りした。

しかし2001年にデビューした初年度産駒は、同年中の勝ち上がり(新馬戦、ないしその後の未勝利戦で、何戦かかってもよいので1勝を挙げる)頭数がゼロ。その後も産駒達の成績は軒並み不振のままであった。

2003年9月には母国アイルランドに買い戻され、障害競走の種牡馬を経た現在は事実上の国営牧場にて余生を送っているようである。


馬名

名前の「Pilsudski」は、現在のポーランド共和国建国に貢献したユゼフ・ピウツスキ(1867~1935)に由来する。

ところが日本への輸入でカタカナでの馬名登録が必要となった際に、その発音を当時の所有者であるイギリス人に尋ねた結果英語読みの「ピルサドスキー」での登録となってしまう。

この問題が表沙汰になった際に一国の建国者の名が由来であるにも関わらず誤った発音で登録するのは国際問題になりかねないという懸念もされたが、結局変更はされず特に深刻な問題にも至らなかった。


関連項目

競走馬 競馬

ジャパンカップ ファインモーション

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