概要
1999年3月31日生まれ、父サッカーボーイ、母シュンサクヨシコ。通算28戦6勝。佐山優厩舎。
2001年デビュー、2002年の日本ダービー当日にやっと初勝利した遅咲きの晩成馬で、菊花賞も抽選を潜り抜けて何とか出走にこぎ着けた程、しかし10番人気で優勝、夏の上り馬となった。
2003年、前哨戦の阪神大賞典などで惨敗しまたも人気を落としていたが、天皇賞(春)でもズブさを発揮しながらも、7番人気でまたも優勝。
GⅠ馬が6頭揃い史上最高メンバーと言われた宝塚記念でも、直線で「来る!来る!ヒシミラクル!」(KBS京都梶原誠アナ)とシンボリクリスエス、タップダンスシチーやネオユニヴァースを完封、ツルマルボーイを押し切って6番人気でみたび優勝。
だがその後は秋の京都大賞典で故障。長期休養を強いられ、復帰後も成績は振るわなかった。
ライバルのシンボリクリスエスとは1勝1敗、タップダンスシチーとは1勝4敗だった。
デビュー前はセリ市で680万円で購入された安い馬だった。
重賞勝利が全てGⅠのGⅠハンターだった。
種牡馬にもなったがナリタトップロードと違い活躍馬は出せず、そのまま引退した。
ミラクルおじさん
先に述べた通り2003年の宝塚記念において、ヒシミラクルは最終的に6番人気だった。
だが前日土曜日の段階では、いきなりヒシミラクルのオッズが大変動し1番人気になっていた。
原因は、この日新橋の馬券売り場に現れたひとりの中年男性にあるという。
この男性は、まず直前の安田記念を勝ったアグネスデジタルの単勝馬券130万円分×9.4倍の配当金1222万円の払い戻しを受け取った。デジタルはその時点でGⅠ5勝の実績馬ではあったが、1年以上の休養明け最初のGⅠレースであり、何よりそれに単勝1点で130万円を突っ込む時点でも大した馬券師である。
(ちなみにその130万円の元手についてはNHKマイルカップのウインクリューガーと日本ダービーのネオユニヴァース説があるが、後者の方が優勢。)
しかし、その男性は何と受け取った1222万円を即座にヒシミラクルの単勝馬券に全て注ぎ込んだのだ。これによって一時的にヒシミラクルのオッズが急激に下がったのである。
最終的には単勝16.3倍に落ち着いたものの、見事にそのヒシミラクル単勝1点の大勝負を当てた男性はおよそ2億円を手にする事になったのである。
これは宝塚記念の1着賞金1億3000万円を上回る金額であり、ヒシミラクルを優勝に導いた角田晃一騎手もこの話を聞かされ「僕よりよほどの勝負師ですね」と驚きのコメントを寄せている。
この男性は「ミラクルおじさん」「2億円おじさん」と呼ばれ話題を呼んだが、いったい何者なのか、2億円はきちんと受け取ったのか……などは不明のままである。