メンバー
2人とも同じ1979年生まれだが、学年(学齢)としては光一の方が剛よりも1つ上になる。2人の姓は同じ「堂本」だが縁戚関係はなく、全くの他人である。
またKinKi Kidsの表記は「K」は全て大文字である
概要
1991年5月5日、それぞれ姉が送った履歴書がきっかけで光GENJIのコンサート会場横浜アリーナで2人は出会う。同時に事務所入りした後、同じ苗字ということで当初から揃って活動することが多かった。
事務所入所後、光GENJIやSMAPのバックで活動していた。正式なグループ名が決まる前までは、「ジャニーズ関西組」、「堂本ブラザーズ」、「W堂本」など様々な呼び名が使われていた。
1992年12月31日放送の『第43回紅白歌合戦』でSMAPのバックダンサーとして出演した際、2人で「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」という名前で紹介される。名付け親のジャニー社長は「カンサイのサのSをZにするのがかっこいいんだよ」といったらしい。
その後、『キスした?SMAP』第1回目の放送(1993年4月4日)にて、正式に「KinKi Kids」というグループ名に改名された。
グループ名についてのちに彼らは「入り口がダセェから(KinKi Kidsが)かっこよく思えるだけで、入り口がKinKi KIdsだったら、ダセェ」「俺ら終わったな」と語っている。
基本明るい内容の曲が多いジャニーズでも曲調・歌詞の内容共に暗めな曲が多く、デビュー曲の「硝子の少年」からして失恋ソングと他のジャニーズグループとも一線を画している。
楽曲提供をした山下達郎からも「暗い曲の方が似合う歌声」だと言われており、本人たちも認めている模様。
特に「夏の王様」に関しては「明るい曲調なので無理して歌ってるように見えるのが嫌(タイアップのドラマが剛の役が最後交通事故死する内容なせいなのもある)」という理由のみならず、持ち歌の中でもキーが超高くて歌いづらいがためにライブでも本人たちが意図的に避けている話は有名。
CDデビュー
1997年5月にジャニーズ事務所がレコード会社「ジャニーズ・エンタテイメント」を設立し、その第1弾アーティストとしてKinKi Kidsがデビューすることが決定。
1997年7月21日に、シングル『硝子の少年』・アルバム『A album』で同時CDデビューを果たす。共にオリコン初登場1位を獲得し、『硝子の少年』は178万枚売り上げ、ミリオンセラーを達成した。
シングル連続首位記録
デビュー以来に発売したシングルはすべてオリコンで初登場1位を記録。『硝子の少年』『愛されるよりも愛したい』『全部抱きしめたい/青の時代』『フラワー』の4作はミリオンセラーを達成。
2020年現在、41作連続でオリコンシングルチャート初登場第1位を継続中。
これは、ギネスブックにも記されている。
紅白歌合戦
NHK紅白歌合戦にはバックダンサーやゲスト的な役割で出演したことはあったが、毎年年末にカウントダウンコンサートを行っていたこともあり歌手としての出演は長らくはなかった。
しかし翌年20周年を迎える2016年、デビュー曲「硝子の少年」にて『第67回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。
その他
作詞、作曲について
『LOVELOVEあいしてる』内にて、吉田拓郎や坂崎幸之助(THEALFEE)の指導の下ギター演奏に取り組み、また番組内では多くのミュージシャンとの親交を深めるなどその後の自身の音楽活動に大きな影響を与えた。シングル『好きになってく 愛してく』では日本のアイドルグループとしては初めて自らの作詞・作曲による楽曲でのオリコンランキング1位を獲得。
コンサートのMC
コンサートはMC(トーク)が長いことで有名であり、MCタイムに入ると観客に座ることを促す。時には1時間を超えることもあり、長過ぎて事務所スタッフに怒られたり、コンサートマスターの吉田建に(冗談ながらに)文句を言われたりしたこともある。
2019年の年末公演では「東京公演のMCが大変盛り上がり当初予定していた時間を上回ったため、その後の大阪公演の開場・開演時間が15分早まる」というエピソードがあった。
また、元日のコンサートではステージ上で光一の誕生日を祝うのが通例となっている。
ソロ活動
グループ活動と平行して、それぞれソロ活動を行っている。光一は『SHOCK』シリーズなどでミュージカル俳優として、剛は自ら作詞・作曲を行うシンガーソングライターとして活動している。