概要
日本のシンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー。
1953年2月4日、東京都豊島区出身。妻は同じくミュージシャンの竹内まりや。
スマイルカンパニー所属。
人物
年齢を感じさせない澄んだ声と他を寄せ付けない圧倒的な歌唱力が魅力。
既に70歳を過ぎているが、60代の頃より禁酒してからは喉の調子がよく、下手したら1980年代の酒浸りの頃より調子がいいかも知れないとまで述べている。
音楽作りに対しては「職人」とも称される拘り抜いた制作姿勢を見せ、レコーディングではリードヴォーカル、バックコーラスの他、各種楽器の演奏やコンピューターの打ち込みまで自ら幅広く手掛けており、楽曲によっては全ての演奏を1人で行っている場合もある(そもそも、バンドを始めて組んだ中学生のときはドラム担当だった)。
自分自身のヴォーカルを多重録音する「1人ア・カペラ」はトレードマークとなっている。
楽器奏者としてはギターをメインとしており、中でも16ビートカッティングは絶品と評され、他者のレコーディングにギタリストとしてのみ参加する事もある。
また、変わったところでは坂本龍一『千のナイフ』にカスタネットのみで参加している。
レコード・CDコレクターとしても知られ、オリジナルのアナログ盤を中心に6万枚超のコレクションを所有している。
中でも造詣が深いのは1950年代~80年代にかけてのロック・R&B・ポップス。メジャーレーベル、インディーズの区別無く、スタンダードから時の流れに埋もれた楽曲に至るまで豊富な知識を持ち、親交の深い桑田佳祐のラジオ番組『やさしい夜遊び』では音楽関連のディープな話になる度に「『サンデーソングブック』に聞けよ!!」と丸投げするのがお約束のネタとなっている。
落語好きで、幼少期は弟子入りを考えたこともあったほど。特に古今亭志ん生のファン。
嫌いなものは、食べ物では食感がイヤでナスが嫌いで、実家が菓子やパンを売っていたため匂いがダメという理由で菓子も食べない。
また、ミュージシャンをアーティストと呼ぶのも呼ばれるのも嫌い。理由は、日本では本来の意味と違う用い方がされているから。
概歴
- 1973年春:共にアルバム「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」を自主制作した山下・鰐川己久男・村松邦男に、同作が切っ掛けとなって知り合った大貫妙子と野口明彦が合流、シュガー・ベイブ結成。
- 1975年4月:シュガー・ベイブ、アルバム『SONGS』とシングル「DOWN TOWN」でレコードデビュー。
- 1976年3月31日・4月1日:シュガー・ベイブ解散コンサート。
- 同年12月:アルバム『CIRCUS TOWN』でRVC(現在はソニー・ミュージックへ併合)よりソロ・デビュー。奇しくもクリスマスの発売となった。
- 1979年、この年の1月に発売したシングル『LET'S DANCE BABY』のB面曲『BOMBER』が大阪のディスコで大ヒット。以降、急速に人気ミュージシャンへと昇りつめていく。
- 1982年4月6日:かねてから楽曲提供・共演を通じて親交のあった竹内まりやと、2年程の同棲生活を経て結婚。
- 同年秋:RVCとの契約解消。長年担当ディレクターとしてタッグを組んできた小杉理宇造が新たに設立したレコード会社、アルファ・ムーン(現在はワーナーミュージック・ジャパンへ併合)に役員兼ミュージシャンとして移籍。
- 1988年12月:JR東海のクリスマス・キャンペーンCMソングに5年前のシングル「クリスマス・イブ」が使用されヒット。
- 1989年12月25日:同曲がオリコン・シングルチャート1位獲得。この時点での、発売から1位獲得までの最長記録(6年6か月)を樹立。
- 2007年4月6日:結婚25周年。桑田佳祐・原由子夫妻と合同で銀婚式を行う。
- 2011年8月22日:オリコン・アルバムチャートにおいて、同月10日に発売された6年振りのアルバム『Ray Of Hope』が初登場1位を獲得。松任谷由実、徳永英明、桑田佳祐に次ぎ史上4人目となる、4年代連続(80、90、00、10年代)の同ランキング首位獲得を達成。
- 2013年12月2日:オリコン週間シングルランキングで「クリスマス・イブ」(30周年記念盤)が初登場10位を獲得。同曲で2001年1月以来、12年11か月振りのトップ10返り咲きと共に、史上初となる4年代連続でのトップ10入りを達成。
メディアとの関わり
常々「本を出さない、アリーナで公演をしない、テレビに出ない」を公言しているが、ラジオにはよく出演する…どころか冠番組まで持っている。
近年はそこまでの事は無いが、「ラジオ番組をやっていると、アルバムは必ず出ない」というのがファンの間での定説であったらしい。
初のラジオレギュラーとなった「オールナイトニッポン」から「サウンドストリート」、そして現在の「サンデーソングブック」に至るまで、ラジオ番組は普通にモータウン音楽の歴史を解説付きで高音質の物を年代順に流すなどオールディーズに特化した選曲をするほか、稀に以前担当したCMソングである「イチジク浣腸の歌」や、一年に一遍位「金太の大冒険」など剛速球のネタ曲を流したりする。また造詣の深さゆえか、これも稀にであるがオールディーズとは程遠いサバイバーの「アイオブザタイガー」やArchEnemyの「NEMESIS」などを流してリスナーを驚愕させている。一方、ビートルズの曲はどこのラジオ番組でも流れるからという理由で流さない。
なお、番組内のトークはラジオのニュースキャスターがやや早口で喋るが如くの一定さで、抑揚に富んだ自身の歌唱とは対照的である。
但し、本人がテレビに出ない一方で番組・映画主題歌やCMソングにはしばしば起用されている。
前者は東野圭吾原作のドラマ『新参者』や、細田守の監督作品『サマーウォーズ』等で耳にした方も多いだろう。
また、後者についてはいわゆるタイアップではないCM用の書き下ろし楽曲も数多く、ファンクラブ向けCD(非会員でも購入可能)にまとめられている。
ちなみに、1980年に日立マクセルカセットテープのCMソングに「Ride On Time」が起用されているが、そのCMに山下本人が出演している。
デジタル配信とサブスクに関しては、いいか悪いかは別にして死ぬまで解禁しないとしている。
理由は、音楽は表現者(演者や制作会社らスタッフ)が伝えたいものを伝えたい人(ファン)のために表現するものであり、配信やサブスクはこの枠に当たらない(配信会社は制作会社とは別であり、受取り手はファンとは限らない)というこだわりゆえのようである。また、サブスクにはワールドワイドでミュージシャンにとって契約的に不合理な問題があるようで、それも解禁しない理由としている。
「夏男」
1983年のJR東海CMソング「クリスマス・イブ」以降、12月になるとあちこちで彼の歌が聞こえる冬の風物詩的な存在となったが、ファンクラブ会報にマンガ「タツロー君」を掲載、またアルバム『OPUS』のジャケットイラストを担当しているとり・みきによると、1980年代初頭までは巷間で
「夏って言うとタツローだよねぇ 何でタツローなのかねー」
とか言われていたそうである。
…もっとも、実際には分量的に「いかにも夏!」という歌はさほど歌っていないのだが、この頃ジャケットアートをまさに夏のイメージの持ち主であったイラストレーター鈴木英人がメインで担当していたり、「高気圧ガール」や「踊ろよ、フィッシュ」が全日空沖縄キャンペーンのCMソングに使われたり、マリンスポーツのドキュメント映画『BIG WAVE』のサウンドトラックを手掛けたり、夏曲としての「LOVELAND, ISLAND」や「さよなら夏の日」のイメージの強さがあったり…という様々な事情が積み重なって、やがて本人のイメージとして定着していった模様。
関連イラスト
関連動画
Ride On Time
山下達郎 シアター・ライヴ「PERFORMANCE 2011-2012」
さよなら夏の日 Classical Guitar Solo
榮倉奈々出演、山下達郎「クリスマス・イブ」特別映画版PV
山下達郎が出演したcm
2002年に「LOVELAND, ISLAND」がシングルカットされた際に制作されたMV
2023年、新たに「SPARKLE」のMVが制作・公開された。
関連タグ
主な関連人物
桑田佳祐&原由子 … 家族ぐるみの付き合い。山下&竹内と並ぶ、日本音楽界を代表するおしどり夫婦。山下のアルバム『僕の中の少年』収録曲「蒼茫」で初めて全員が共演、それから実に四半世紀後の竹下のシングル「静かな伝説」で再共演を果たしている。
坂本龍一&矢野顕子 … これまた日本音楽界を代表する「元」おしどり夫婦。山下の初期の作品に坂本がキーボーディストとして参加し、矢野のライヴには山下がコーラスで参加していた間柄。
大瀧詠一 … 実質的な師匠と言える存在。番組を渡り歩きながら繰り広げられた正月恒例の山下とのトークバトル「新春放談」は、時にバージョン違いや完全未発表等のレア音源が飛び出すマニア必聴の企画であった。