人物像
アルフィーのビクター在籍時(名義は「ALFIE」)には本名で活動していた。本名名義の作品に「一年目の春」(作曲のみ)がある。
アルフィーのデビューに際し、話術が巧みだったことからリーダーに選ばれるが、ALFEEがロック色を強めた1982年に高見沢に交代した。しかし、現在でもTHE ALFEEの活動では「心の鍵」を唯一の例外としてエレキギターを演奏していない。ステージ上での立ち位置は中央。
ラジオパーソナリティーとしても2013年11月現在、3本のレギュラー番組を持ち、「God of DJ」の異名を持つ。
カメラや江戸切子の蒐集を筆頭に多趣味としても知られており、後者については2008年に「江戸切子親善大使」に任命されている。また、様々な動物を飼育しているが、「蛇を飼ったら解散」と、他のメンバーから言われている。
実家は墨田区の酒屋、武蔵屋坂崎商店(2016年に閉店)。叔父にエッセイストの坂崎重盛がいる。メンバー内では唯一の東京都出身者。
エピソード
- 日頃は某メンバーと異なり、5分の遅刻でも心配されるそうであるが、大ポカをやらかした事が2回ほどある。一つは1970年代後半頃、NHKの番組で山口百恵氏の「秋桜」の伴奏を頼まれ、リハーサルまでは順調に進んだが、本番の収録に遅刻し、1番の途中から合流した。もう一つは、ラジオ番組の収録に遅刻し、植木等氏を1時間ほど待たせてしまったものであった。
- 音楽番組以外のテレビ出演の場合でも、しばしばギターを持ちこんでいる。このためか、ギターと一体化しているだの、風呂と寝るとき以外はギターを抱えているだの、他の二人から言われている。ちなみに、酔っぱらった時もギターを弾き、一度寝て、目が覚めると中断した箇所から弾きはじめると言う証言もある。
略歴
デビュー前
アコースティックギターを中学1年の頃から弾きはじめた。都立墨田川高校在学中にフォークソング同好会を設立し、初代会長となる。高校の入学式の日にギターを持ち込んだという伝説があり、教員から怒られるのを避ける目的もあったという。余談だが、後輩に当たる部員は、後年「ラジカル・ティーンエイジャー」(シングル『メリーアン』のB面)や「終わりなきメッセージ」(1987年発売のアルバム『U.K. Breakfast』収録)にコーラスとして参加する事となる。「墨田川高校の吉田拓郎」と呼ばれていたと豪語しているが、吉田本人からは「墨田川高校の南こうせつじゃないのか?」と指摘されている。
1972年に、桜井賢が所属していた「コンフィデンス」(デビュー時にALFIEに改称)というグループと出会い、後に加入した。コンフィデンスに加入する為、坂崎は桜井たちの好きなサイモン&ガーファンクルを練習していた。
翌年、入試の日を間違えるというアクシデントがありながらも、2部で明治学院大学に進学する。明治学院大学を志望した理由は桜井がいるからというものだった。大学の食堂で高見沢俊彦と意気投合し、桜井に無断でコンフィデンスに引き込んだ。
アルフィーのメンバーとして
前述の通り、ALFIEとしてのデビューに際して、バンドのリーダーに就任した。既に演奏の技術水準は高かったようで、高見沢にスリーフィンガーピッキングを教え、桜井にもベースを教えた。このため、現在でも桜井がライヴのアンコールにおいてハンドマイクで歌う際、ベースを演奏することがある。
話術については林家三平(初代)に師事し、1980年代前半からオールナイトニッポン等のラジオ番組に出演した。現在でもライヴ中のMCは坂崎が中心である。
こうした精力的な活動が、アルフィーのライヴ動員数の着実な増加など、人気獲得の布石となっていった。
メンバーの中では最もプロ志向が強く、桜井と高見沢は、坂崎がいたから浪人中でもグループが維持できたとラジオ番組で回想した。当時、桜井と高見沢は自棄酒に明け暮れており、高見沢はやる気がなかったと認めている。
なお、1982年ごろまでは、一部楽曲の作詞や作曲も行っていた。作品に「街角のヒーロー」(作詞のみ、1979年。作曲は高見沢)「逆戻り浮気考」(作詞・作曲。1980年)、「言葉にしたくない天気」(1981年、曲のみ高見沢と共作。作詞は秋元康)など。
ブレイク後
1983年、ALFEEは「メリーアン」でブレイク。ALFEEがロックバンド編成となってもアコースティックギターを手放さなかった坂崎であったが、これは、ハードな楽曲でも生ギターのソロが入るような、THE ALFEEの音楽性を語る上で不可欠な要素になる。
1984年頃からはステージ上ではシンセドラム・パーカッションも担当するようになった。一方で、曲によってはダブルネックギター(複数種)、トリプルネックギターも演奏する事がある。
2013年現在、THE ALFEEのシングル曲でリードヴォーカルを取った数は最も少ない。近年では2011年の「Let It Go」(3人スイッチヴォーカル)の一部を除けば、単独でリードヴォーカルを務めたシングル曲は2001年の「Juliet」以後、2017年の「人間だから悲しいんだ」まで16年の間が開いており、『人間だから悲しいんだ』発売時の宣伝では「シングルでは16年振りに坂崎がメインヴォーカル」と、THE ALFEEのシングル曲としては初めて事前にリードヴォーカルが公表されている。
しかし、坂崎のリードヴォーカル曲では1985年の「シンデレラは眠れない」と1987年に発売された「My Truth」がオリコンチャート1位を獲得している(桜井、高見沢担当曲ではそれぞれ1曲ずつ)。
THE ALFEE以外での活動
2002年に、はしだのりひこ氏に代わりザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)の新メンバーとして参加。2006年、2013年にもフォークルのメンバーとして活動を行う(但し、後述の事情により、2013年は北山修との二人編成)。
2007年にはフォークルの加藤和彦と「和幸」(かずこう)というユニットを結成するが、こちらは2009年に加藤が他界したことを受け活動停止状態にある。
フォークの伝道師として、数多くのミュージシャンと共演している。小室等からは「フォーク界の介護師」と評されている。フォークに関しての知識量は膨大なもので、本人が忘れているエピソードや曲も覚えている事がある。2006年のフォークル新結成においてもオリジナルメンバーである加藤が弾き方などを坂崎に確認したほど。
南こうせつと声質が似ており、ライブ等の場で「クローンズ」というユニットを組んでいる(後ろを向いているとどちらが歌っているか分からないほど似ている→クローン)。また谷村新司と「アリーズ」というユニットも組んでいる。
プロデュース作品
所ジョージ
所ジョージと親交が深く、「所」「幸ちゃん」と呼び合う仲。所のレコーディングでもミュージシャンとしてたびたび参加している。
- 『洗濯脱水』(1999年)
同作ではアコースティックギター、エレキギター、ベース、シンセサイザーなどを演奏。また、高見沢俊彦もギターソロでゲスト参加している。
- 所ジョージ『LIVE 絶滅の危機』(2000年)