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概略編集

アイドルフォークバンド「ALFIE」として1974年にデビュー。レコード会社からの脱退を経て、1979年に自作の曲で「Alfee」として再デビュー。


元来はフォークグループだったが、アルバム「doubt,」以降、ロックの要素を取り入れ、シングル「別れの律動」(1982年11月)からバンド名を「ALFEE」と表記変更し、ロックバンドとして活動を始める。1986年7月以降は「THE ALFEE(ジ・アルフィー)」と表記変更した。


その後、ヘヴィメタルやプログレッシヴ・ロック、パンク・ロックあるいはダンスミュージックなどの要素も取り入れて融合させている点が特徴である。

一方、アルバム「夢幻の果てに」のインタビューで、高見沢は「レゲエだけはどうしても理解できない」と話している。


チャートの面では、1983年の『メリーアン』以降、30年以上に亘り全てのシングルをオリコンチャートトップ10圏内に送り込み続けており、2024年には「シングル連続TOP10入り獲得作品数」にて(58作連続)と並び2位タイとなり、男性アーティストとしても1位タイともなった。


ライヴ活動に於いては、後述の通り、J-POP史上における大記録を打ち立て、還暦を超えて年間50本以上(2012年は52公演、70歳を迎えた2024年の春夏ツアーだけでも28本)のコンサートを開くなど、精力的に活動している。そのため本人たちも「ライヴが健康法」と言うほど、ライヴ活動は欠かせないものになっている。しかし、本人たちのキャラクターもあってか、こうした実績が評価される機会は決して多くはない。

上述の通り、グループとして幅広い音楽性を持ち、また、メンバーの音楽の嗜好がもともとバラバラであった。しかし、それを逆手にとって「音楽性の違い」を積極的に生かし、息長く活動を続けるバンドの先駆者的存在ともいえよう。


バカリズムからは「この世にある3人組の頂点」と言われる程、度々メンバーの仲の良さが話題になる。新型コロナウイルスワクチン接種の予約をそれぞれ別の場所で入れたのに奇跡的に同じ接種会場で鉢合わせしたエピソードがある。



来歴編集

1973年 メンバーが揃う。元々は桜井が明治学院高校在学中に組んでいた「コンフィデンス」というグループが母体で、後に坂崎が加入。さらに明治学院大学進学後のこの年に、坂崎が高見沢を勝手にグループに引き入れた。


1974年 8月25日にシングル『夏しぐれ』で4人組バンドとしてデビュー。「コンフィデンス」はオリコンと混同されるおそれがあったことから、改名させられた。余談だが、この曲は後にゴールデンコンビと称される松本隆作詞・筒美京平作曲による、ごく初期の作品である。


1975年 シングルの発売中止を期に、ビクターとの契約を破棄。この直前にメンバーの三宅康夫が脱退している。


1979年 数年間のライヴハウス活動などを経て、キャニオンレコードより『ラブレター』で再デビュー。


1982年 所沢航空記念公園にて、初の野外ライヴを行う。


1983年 シングル『メリーアン』がオリコンチャートトップ10に入り、悲願のブレイクを果たす。同曲で紅白歌合戦に初出場。


1984年 代表曲中の代表曲『星空のディスタンス』をリリース。


1986年 東京湾13号埋立地にて、約10万人(厳密には約92,500人)を動員した野外ライヴ「TOKYO BAY-AREA」を開催。この数値は単独アーティストの有料コンサートにおける観客動員数の日本記録であり、13年後LUNA SEA(10万人)やGLAY(20万人)が破るまで維持された。


1980年代後半以降 変名ユニット「BE∀T BOYS」の活動が断続的に行われるようになる。


1999年 「ドイツにおける日本年」のオープニングイベントとしてドイツのブランデンブルク門の前でライブを行う。


2004年 デビュー30周年を迎え、高見沢が「終身リーダー」に任命される(押しつけられる)。


2005年 単独での有料コンサート公演数2000回を達成。名球会のブレザーがメンバーに贈られた。これは、野球選手以外でブレザーが贈呈された初めての例である


2009年 デビュー35周年。最後の夏のイベントと銘打った野外ライヴを行った。


2012年 最初の夏の野外ライヴから30周年を記念して、屋内会場ではあるが、ファンからのリクエストナンバーで構成された一夜限りの夏のイベントが行われ、以降夏のイベントも定期的に行われている。


2014年 デビュー40周年を迎える。7月には再び夏のイベントを開き、さらに8月にはデビュー40周年のセレモニーとライヴを日本武道館で開催した。


2015年 1月31日に東京都世田谷区の昭和女子大学人見記念講堂に於いて、桜井賢の還暦を祝うコンサートを行ったが、この公演でTHE ALFEEのコンサートの数が2500本に到達した。


2018年 年末に行われた恒例の武道館公演にて、大阪国際女子マラソンのイメージソングを1987年から31年間担当してきた記録に関して、「同一国際スポーツ大会のテレビ放送における同一アーティストによる最多テーマソング数」ギネス世界記録に認められ、認定証を授与された。


2020年 コロナ禍によりライブ活動が困難になったこともあり、「Come on! ALFEE!!」と呼ばれる生配信方式の番組がスタートした。


2024年 デビュー50周年を迎える。さらにそれを記念してTiktokInstagramの公式アカウントが開設。そして41年ぶり2度目となる紅白歌合戦に出場。


メンバー編集

詳細は各メンバーの項目を参照のこと。


桜井賢(まさる)編集

ボーカルベース、コーラス担当。黒髪の短髪かオールバックで、いつもサングラスをかけている。ALFEEのツッコミ役であり、メンバー唯一の既婚者。


坂崎幸之助編集

ボーカル、アコースティックギター(6弦・12弦・ガット)、マンドリン、パーカッション、ブルースハープ、エレキギター(フルアコースティックギター)、コーラス担当。本名および旧芸名は坂崎幸二。常にメガネをかけている。デビュー当初はラーメンの小池さんに似ていた。実はモノマネ上手で、南こうせつ吉田拓郎等、様々なレパートリーがある(しかも本人公認)。その為、ライヴで観客がALFEEの曲に少し飽きてきた頃にモノマネコーナーを始めるらしい。


高見沢俊彦編集

ボーカル、エレキギター、アコースティックギター、ピアノ、コーラス担当。リーダーでほとんどの曲を作詞・作曲している。長髪で、派手な服装。世間知らずの節があり、天然発言を桜井にツッコまれる事がある。


なお、旧メンバーに前身のバンド「コンフィデンス」のオリジナルメンバーであった三宅康夫がいるが、1975年に脱退した。三宅について三人が言及することはほとんどない。

1980年代に出版された、メンバーの証言やエッセイを基にした漫画「ドリームジェネレーション ジ・アルフィー物語」(吉岡つとむ)では「父親が病に倒れ、長男のため家業を継がなければならず脱退した」という経緯が描かれているが、詳細は不明である。

主な楽曲とタイアップ編集

70年代編集

  • 夏しぐれ
  • 府中捕物控
  • ラブレター:「ショウワノート」コマーシャルソング

80年代編集

90年代編集

00年代編集

  • NEVER FADE
  • 太陽は沈まない:フジテレビ系ドラマ『ショムニFINAL』主題歌
  • タンポポの詩:テレビ朝日系アニメ『ドラえもん』エンディングテーマ
  • 希望の橋:TBS系ドラマ『サラリーマン金太郎4』主題歌
  • この愛を捧げて:アニメ映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』主題歌

10年代編集


20年代編集



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