趣味・嗜好
また、大の酒好きであり、高見沢と坂崎から酒乱だと思われているぐらいである。最近はハイボールを気に入っている。
かつてはタバコも吸っていたが、2010年現在は禁煙している。
本人たちの発言によれば、意外なことに、デビュー当時は殆ど酒を飲まず、寧ろ酔いつぶれた高見沢の介抱に回る事が多かったという。呑み始めたきっかけは高見沢の介抱に嫌気が差したためであった。
ソロでの音楽活動は行っていないため、ALFEEとしての活動が無くなると公に姿を見せなくなる。また2020年現在もスマホではなくガラケーを愛用し、安否確認の手段は電話とFAXだけとネタにされる。
担当
担当楽器はベースで、ツアーには5,6本のベースを持っていく。また、高見沢ほどではないが、桜井自身も変形ギター(ベース)の持ち主であり、F-1マクラーレン・ホンダベースや王将ベース(ヘッドやポジションマークが他の駒になっている)などを持っている。エルヴィス・プレスリーの顔が描かれている物もある。
しかし、基本的にはフェンダー・ジャズベースをメインのベースギターにしており、これだけはどうしても外せないらしい。 なお、80年代まではプレシジョンベースをメインにしていた。
また、BE∀T BOYSではリーダーを務め、祥寺張扇(ジョージ・ハリセン。現在はサクライ)と名乗る。
略歴
1955年1月20日、埼玉県秩父市(当時は秩父郡荒川村)に生まれる。
明治学院高校在学中の1970年、同級生とフォークグループを結成し、サイモン&ガーファンクルなどのコピーを歌っていた。
1972年に、山野楽器で催されたビクター音楽産業主催のフォークコンテストにコンフィデンスとして出場し優勝する。
その会場で、ソロで出場していた坂崎幸二(のちの幸之助)に出会ったことが現在のアルフィーの原点である。
コンフィデンスには、後に坂崎、高見沢俊彦(桜井と同じ高校出身)が加入し、アルフィーの母体となった。ちなみに、坂崎の加入も高見沢の加入も桜井の知らない所で決まっており、以後、現在に至るまでグッズの内容や、酷い時はライヴの曲目変更(文字通り演奏直前に知らされたこともあるそうだ)に至るまで桜井に無断で行われる事がある。
1974年にアルフィーとしてデビューするとき、美声を買われてデビュー曲のリードボーカルを担当する予定だったが、高見沢のルックスを見たプロデューサーの意向により、急遽高見沢がリードボーカルの曲に変更され、予定されていたデビュー曲はB面となった。
また、本来はドラマー志望であったが、デビュー後に、グループとしての音楽性を広げていく過程で必要に迫られてベースを始めた。ドラム購入資金とする予定だった貯金でベースを買わされた。この時購入したのがプレシジョン・ベースだが、これはクイーンのジョン・ディーコンに憧れてのものだったと発言している。ちなみに、ディーコンはクイーンでは唯一ヴォーカルを取らないメンバーである。
初期には曲によっては12弦ギターを担当していたこともあり、アルフィーが研ナオコのバックバンドとしてテレビ出演した際にも、桜井は12弦ギターを持っていた。但し、当時の演奏能力については「マイクのスイッチが切られていた」(研ナオコ)、「エアギターは上手かった」(高見沢)などと、後年ネタにされている。なお、ベースは「青春の記憶」をリリースした頃に始めたと、コンサートのMCで発言している。
フジテレビでの生番組中で感電したことがある。
これは桜井が使用していたアンプが漏電していて、スタンドマイクの高さを調整している時に、右腕がベースの弦に触れてしまったために起きてしまった。
高見沢と坂崎は桜井のネックレスから火花が飛んだのを見たらしい。
それ以来、マイクスタンドが自分のほうに倒れてきても絶対に触らず、身をかわしてよけるとのことである(『音楽戦士』にて発言)。
2009年に演歌歌手の冠二郎、落語家林家たい平、俳優の藤原竜也と共に秩父市の観光大使に任命されている。
2015年現在、アルフィーのシングル曲におけるリードボーカルの割合が最も多いメンバーである。にもかかわらずステージでの立ち位置は基本的に下手側で、何故中央ではないのかを『新堂本兄弟』にて武田真治に訊かれた所、「私は決して(固定された)リードボーカルというわけではないから」とのこと。
容姿について
デビュー当時
初期は長髪にしていた。また、素顔を見せており、髭も伸ばしていない。
その後、2年余りの容姿は不明だが、1978年9月7日放送のザ・ベストテンに研ナオコのバックバンドとして出演したときにはサングラスをかけ、上唇の上の髭を伸ばすようになっていた。なお、2013年5月15日放送の『THE ALFEE 終わらない夢』における本人の発言によれば、1975年ごろから髭を伸ばし始め、アルバムのジャケット写真撮影の際、スタッフの指示で一度渋々剃ったものの、アルバムが出た翌日から再び伸ばし始めたとのことである。また、サングラスはバックバンドとしてテレビに映った時にインパクトを残す為に掛けたのが、79年の再デビューに際してそのまま採用され、現在に至る。
78年の末には髪を中央で分けるようになった。
1980年
「桜井は西部警察の渡哲也の様な角刈りにするといい」という酒の席での高見沢の冗談を真に受けて角刈りにした。
角刈りにする際に、当時の渡哲也の写真を美容師に見せたら「こんな髪型にするんですか!?」と言われた。
結果、リリースしたシングル「冬将軍」のジャケット写真と実物が全く違う見た目となったため、宣伝担当者から相当強く叱られたらしい。
また、テレビで角刈り姿の彼を見た視聴者から、「だ、誰だ!?」と問い合わせが殺到した。
そのため、当時のアーティスト写真や次作シングル「無言劇」のジャケットなどではニットキャップを被っている彼の姿を見ることが多い。
ちなみに、彼の角刈りシーンは「堂本兄弟」や「嵐にしやがれ」で放映されたが、本人は黒歴史にしたいらしく、動画サイトではまず確認できない。
また、その事について高見沢を根に持っており、高見沢の巻き髪を止めるのを絶対に許さないらしい。
1982年頃
再び髪を分けるようになり、次第にオールバックになっていった。
1990年頃
高見沢と坂崎が髪を染めるようになっても、桜井は黒髪で通してきた。しかし、最近は少し白髪が混じるようになっている。
1994年夏以降
それまで剃っていた顎鬚ともみ上げを伸ばすようになった。その後の髪型は、オールバックか中分けである。
なお、ジャケットやテレビではサングラスをかけ素顔を見せないが、デビュー初期のシングルジャケットでは、素顔を見ることができる。
(オフィシャルホームページで公開中。しかし、テレビではあくまでサングラスが外れてもモザイクがかかる。)
2016年の一時期は顎髭を剃っていたが、2017年以降は再び顎髭も伸ばしている。なお、桜井が顎髭を剃ったことについて、当初高見沢は気づいていなかったらしい。
キャラクター一覧
花火師まさる
1997年登場、強風で夏のイベントに於いて特殊効果の花火が使えなかったために秋ツアーでスクリーンに花火を打ち上げた、ちなみに春は火消しだった。
花櫻じじい
1998年登場。「枯木に花を咲かせましょう」とスクリーン内の枯れ木にいろいろな花を咲かせた。
ハッピーおじさん
法被と黄色いヘルメットを着用、ピースサインを出し『はーっぴー』と叫ぶ。(法被とヘルメットは色違いの事もあり。またヘルメットは未着用の場合もあり)
ヒッピーおじさん
1999年登場、ヒッピーの扮装で怪しいTシャツを売りつける、高見沢が理解できないレゲエが好き。
ホルちゃん
2001年登場、メンバーの高見沢が『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』で闘牛に挑戦し、
ギタリストの命である左手人差し指を骨折した際に登場。牛の着ぐるみを着て、「自家製」の牛乳進呈にて骨折の早期回復を願った。
このえ・へい(通称「このえちゃん」)
2003年登場、ロンドン・バッキンガム宮殿の近衛兵の扮装、ぜんまい仕掛けで動く。
背中のぜんまいの巻き具合で動きが変わる。
周富富
シェフの出で立ち、中華なべを持って登場、料理は腰が命と力説した。
海の家のおじさん
実家である櫻井太傳治商店の別館主人として登場、麦藁帽とアロハ、親友の"かやまゆうぞう"からもらったウクレレがトレードマーク。沢田研二が好き(ちなみに1999年12月の武道館公演で加山雄三が突然ステージに登場し共演した。桜井一人だけがそれを事前に全く知らされていなかったため、ステージでひとり唖然としていた)。
マサルティンバンコ
得意のマジックショー、縄抜けが得意。
ペペロンチーノ
(パバロッD)3大テノールの一人、ルチアーノ・パヴァロッティのパロディ。
持ち歌は「オー・ソレ・ミオ」と「タイタニック愛のテーマ」。
ステージ上でマジックを披露しながら「オー・ソレ・ミオ」を歌うこともあった。
カネヤン
指揮者カラヤン最後の弟子、カラヤンの死後弟子入りした?という。ホルストの『木星』を指揮する。
フレD
フレディ・マーキュリーのパロディ、クイーンのナンバーを熱唱する。
エルビス
サングラスにもみ上げ、ヒラヒラ衣装。
ジャイアンツおやじ
短命に終わる。
国定忠D
Dシリーズはコーナー後に演奏される「D.D.D!」と言う曲の前振りに使われた。
源治
2000年夏のイベントのVHSビデオパンフレットに登場。幻の秩父原人。