概要
「樺太」の呼称は、アイヌ語で「神が河口に作った島」という意味の「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ」が省略された形であるとされる。
南北に細長く、南から北までの広がりは北海道の2倍の940kmにも及ぶ(南端が北緯45度54分、北端が北緯54度20分)が、面積は北海道よりやや小さい。北海道とはラ・ペルーズ海峡、大陸からはタタール海峡で隔てられる。
古くは南部にアイヌ、中部にニヴフ、中北部にウィルタが居住し、南部大泊に松前藩の陣屋が置かれアイヌとの交易を行っていた。古くは南北を踏破した者は誰もおらず、半島であるか島であるかすら謎であったが、江戸時代に間宮林蔵が全島の探検を行い、樺太が島であることを確認した。
日露の国境画定(樺太千島交換条約)に伴い樺太はロシアに属することになるが、日露戦争の結果、1905年にポーツマス条約締結され北緯50度以南は日本に編入された
しかし、第二次世界大戦末期に日本側の中立違反を根拠にソビエト連邦の侵攻を受け、戦後、当地に居住する日本人やアイヌ、ニヴフやウィルタの一部はシベリア抑留や北海道へ追放された。
- 【樺太抑留残留日本兵『上野石之助』氏(撮影時83歳)の日本国出発の際の記録映像:日本国・岩手県・九戸郡大野村にて1922年10月生誕~2006年4月19日に息子アナトリー氏(撮影時37歳)らとともに来日:樺太抑留後、現地妻のロシア人女性の実家のあるウクライナ共和国・ジトーミル州・州都ジトーミル市に移住、生活及び経済的基盤が確立したためウクライナ国籍取得】(撮影日時:2006年4月18日)
※なお現在のロシア領土としての詳細は「サハリン」を参照。
領土問題
日本政府は南部に関しては、帰属未定地であると主張している。
しかし、サンフランシスコ平和条約で「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と宣言している。
樺太の一部(南樺太)及び千島列島の主権帰属国は明示されていないが無主地先占の原則に則りソビエト連邦並びにその後継国家ロシア連邦が領有権を有する。