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クリミア半島の編集履歴

2022-02-10 03:12:53 バージョン

クリミア半島

くりみあはんとう

ウクライナヘルソン州の南に位置する黒海北岸に突き出した半島。

他の用例はクリミアの項目を参照。


地理

幅5~8kmのペレコープ地峡によってウクライナ南部のヘルソン州と繋がる、黒海に突き出した半島である。

半島南西部のセヴァストポリ市はロシア黒海艦隊の拠点。また、同じく半島にある保養都市ヤルタは、「ヤルタ会談」の舞台として知るものが多いだろう。


歴史

気候温暖で石器時代から人類が暮らしていた。

スキタイ人ギリシア人も当地を支配したことがある。主にギリシア人は沿岸部に植民都市を築いた。

以後もローマ帝国や各種遊牧民族・ジェノバなどが支配し、15世紀にはモンゴル帝国の分派・クリミアハン国が建国。内紛を経てオスマン帝国の属国となった。

海岸線のかなりの部分が冬になると凍結するロシアにとって、温暖なクリミア半島の確保は悲願であり、通商・軍事の生命線であった。1683年以降、ロシアは何度もこの半島を目的に軍事行動を行っている。

ロシア帝国とオスマン帝国が何度か戦争した末に1783年ロシア帝国が併合し、以後は軍港・貿易港や保養地として栄えた。

また、クリミア戦争の戦場ともなった。

1917年のロシア革命後、ソビエト連邦領となる。当初はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国であった。

第二次世界大戦でも戦場となったが末期のソ連軍による解放直後、クリミア・タタール人が中央アジアに追放されるなどの事件が起きた。

1955年、ソビエト連邦内でロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ移管され、1991年のソ連崩壊に際してはそのまま独立したウクライナに継承された。

一時対立はあったが1992年にクリミア自治共和国が設置され、小康を保っていた。


2014年2月、米国が主導したウクライナでのクーデターをきっかけに帰属問題が再燃。

ロシア系住民の多い本地域はクリミア共和国として独立を掲げ、3月には住民投票を経てロシアへの編入条約を締結した。


国際社会は法的拘束力の無い国連総会決議において「ウクライナの領土保全 」として賛成100、反対11、棄権58、欠席24で採択。

ウクライナや、日本も含む主要先進国などが賛成した。

棄権および欠席はアフリカ諸国や中華人民共和国ベトナム等でありロシア連邦キューバベネズエラシリア北朝鮮等が反対した。


余談

後に政治家鳩山由紀夫がクリミアを訪問し、クリミア半島は伊豆半島に似ていると報告した。


関連タグ

クリミア・ハン国:1426年-1783年に存在した国家。

ナタリア・ポクロンスカヤ:2014年3月にクリミア検事総長に就任した女性。

ナイチンゲール:クリミア戦争で活躍した女性看護師。

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