他の用例はクリミアの項目を参照して欲しい。
概要・地理
クリミア半島(ロシア語:Крым、ウクライナ語:Крим、英語:Crimea)は、ウクライナのヘルソン州の南に位置する黒海北岸に突き出した半島。幅5キロメートルから8キロメートルのペレコープ地峡によって繋がっている。半島南西部のセヴァストポリ市はロシア連邦軍の黒海艦隊の拠点であり、同じく半島にある保養都市のヤルタは、1945年2月に開催された「ヤルタ会談」の舞台として知るものが多いだろう。
歴史
気候温暖で石器時代から人類が暮らしていた。スキタイ人・ギリシア人もこの地を支配した事があり、主にギリシア人は沿岸部に植民都市を築いた。これ以後もローマ帝国・各種遊牧民族であるジェノバなどが支配した。
1441年3月にモンゴル帝国の分派であるクリミア・ハン国が建国され、内紛を経てオスマン帝国の属国となった。海岸線のかなりの部分が冬になると凍結するロシアにとって、温暖なクリミア半島の確保は悲願であり、通商・軍事の生命線であった。1687年5月以降ロシアは何度もこの半島を目的に軍事行動を行っている。
1783年4月にロシア帝国に併合されて以降は軍港・貿易港・保養地として栄え、クリミア戦争の戦場になった。
1917年11月のロシア革命の後、ソビエト連邦の一部となる。当初はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国であった。1939年9月に始まった第二次世界大戦では戦場となったが、末期のソビエト連邦軍による解放直後、クリミア・タタール人が中央アジアに追放されるなどの事件が発生した。
1954年2月にソビエト連邦内でロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ移管された。1991年12月のソ連崩壊に際しては、同年8月に独立したウクライナに継承された。その後は一時的に対立はあったが、1992年5月にクリミア自治共和国が設置されて小康を保っていた。
クリミア問題
2014年2月にアメリカが主導したウクライナでのクーデターを契機に帰属問題が再燃した。ロシア系住民の多い本地域はクリミア共和国として独立を掲げ、同年3月に住民投票を経てロシアへの編入条約を締結した。
同年3月に国際連合総会が「ウクライナの領土保全」の決議を、賛成100・反対11・棄権58・欠席24で採択した。
国際連合加盟国の賛否状況
ここに示す国名の太字は、国際連合安全保障理事会常任理事国である。
賛成
以下の主要先進国・それ以外の国などが賛成した。
- アメリカ合衆国
- カナダ
- メキシコ
- イギリス
- フランス
- ドイツ
- イタリア
- スペイン
- ポルトガル
- アイルランド
- トルコ
- ベルギー
- オランダ
- ルクセンブルク
- アイスランド
- デンマーク
- フィンランド
- ノルウェー
- スウェーデン
- ウクライナ
- モルドバ
- ルーマニア
- スイス
- サウジアラビア
- 日本
- 韓国
- フィリピン
- マレーシア
- インドネシア
- パプアニューギニア
- ペルー
- チリ
- コロンビア
- オーストラリア
- ニュージーランド
- リビア
- カメルーン
- マダガスカル
- ナイジェリア
反対
以下の国が反対した。
棄権・欠席
以下の国などが棄権・欠席した。
- 中華人民共和国
- モンゴル国
- ベトナム
- ラオス
- カンボジア
- バングラデシュ
- ネパール
- インド
- パキスタン
- アフガニスタン
- イラン
- イエメン
- セルビア
- エクアドル
- ブラジル
- ウルグアイ
- アルゼンチン
- エジプト
- アルジェリア
- モーリタニア
- ケニア
- ザンビア
- タンザニア
- モザンビーク
- ナミビア
- ボツワナ
- 南アフリカ共和国
余談
2015年3月に鳩山由紀夫元首相がこの地を訪問し、クリミア半島は伊豆半島に似ていると報告した。
関連タグ
クリミア・ハン国:1441年3月に建国され、1783年4月にロシア帝国に併合されるまで存続した。
ナタリア・ポクロンスカヤ:2014年3月に就任した女性検事総長。
フローレンス・ナイチンゲール:クリミア戦争で活躍した女性看護師。