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概要

首都ブエノスアイレス
面積278万1498平方キロメートル
人口4732万7407人(2022年5月)
建国1816年7月9日(スペインより独立)
通貨ペソ
公用語スペイン語
国家元首(職)大統領
政体大統領制 連邦共和国

アルゼンチン共和国(アルゼンチンきょうわこく、スペイン語:República Argentina、英語:Argentine Republic)は、南アメリカ南部に位置する連邦共和国。スペイン語圏諸国としてはメキシコに次ぐ規模であるが、南アメリカ最大の国であるブラジルはポルトガル語圏である。南大西洋に面しており、北部にはパンパと呼ばれる平原が広がり、南部にはペンギンが生息する。農業と畜産が主要産業で、メンドーサ市を中心にワインの生産が盛んである。サッカーラグビー強豪国であり、他にもタンゴ発祥国としても知られる。

歴史

1516年1月にスペインの探検家であるフアン・ディアス・デ・ソリスが最初のヨーロッパ人としてこの地を訪れたが、すぐに先住民と諍いを起こして間も無く殺害された。1536年2月に最初の入植地がリオ・デ・ラ・プラタ盆地に設立され、1542年11月にアルゼンチンはペルー副王領の一部となった。1776年8月にリオ・デ・ラ・プラタ副王領が設立されると、ブエノスアイレスはその首都となった。

1810年5月に開始された独立戦争はアルゼンチンの勝利に終わり、1816年7月に完全な独立宣言が布告されてスペインから独立した。

国際関係

長年に渡って敵対していたチリ・ブラジルとの関係が深化し、パラグアイウルグアイと共にメルコスール(南米南部共同市場)を結成した。名実共にラテンアメリカ諸国の一国としての道を歩んでおり、旧宗主国のスペインとは良好な外交関係を保っている。

日本

1898年2月に外交関係を樹立し、この時に修好通商航海条約を締結した。1944年1月に第2次世界大戦によって一時断交し、1952年4月にサンフランシスコ講和条約が締結されて回復した。1960年12月にアルトゥーロ・フロンディシ大統領が日本を訪問し、その後2国間貿易・日本の対アルゼンチン投資の重要性が高まった。

イギリス

1823年12月に外交関係を樹立し、当時のアルゼンチンはイギリスとの関係を支持する外交政策の概要を示し始めた。1982年4月に一時断交し、1990年2月に両国の共同声明によって回復した。

1982年4月にフォークランド諸島(マルビナス諸島)の領有を巡ってイギリスと交戦・敗北した。今もなおイギリスとはしこりが残り、アルゼンチンはこの戦争(フォークランド紛争)の敗戦を契機に軍部の威信が落ちて民政に移行した。

栄光・転落

かつては国民のほとんどを白人が占める白人国としての自負が強く、チリ・ブラジルとは宿敵の関係にあり、むしろイギリスとの関係が深かった。ただしチリは白人主体ではあるが、混血の比率が高い。

第2次世界大戦まではイギリスを初めとするヨーロッパ連合諸国への牛肉小麦の輸出で栄えた。世界の10本の指に入るほどの経済力を有し、国民1人当たりのGDPは日本より遥かに高く、西ヨーロッパ諸国に匹敵するほど豊かであった。しかしアルゼンチンの繁栄は外需依存のいびつなものであり、1955年9月以降は内戦・軍のクーデターが打ち続くなど政治的混乱が続いて経済が失速した。財政破綻を何度も経験し、先進国から発展途上国へと転落したと言われている。

その他

首都のブエノスアイレスの地下鉄では、[丸ノ内線]]・名古屋市交通局の旧型車両が使用されている。

南極大陸の一部を自らの領土として主張していた時期があり、同様の主張はチリイギリスといった他国でも行われていた。現在はアルゼンチンが加盟している南極条約によって領土の主権などは凍結されている。

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