ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

和田義盛の編集履歴

2022-08-30 22:47:15 バージョン

和田義盛

わだよしもり

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍する武将。

概要

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍する武将。

平家打倒の兵を挙げた源頼朝に従い鎌倉幕府樹立に貢献し初代侍所別当(長官)、頼朝死後も後を継いだ源頼家実朝兄弟を支えて「十三人の評定衆」のうちの一人に就任する。

その後に起きた梶原景時比企能員畠山重忠追討にも北条側につき出陣するが、執権北条義時と対立、挙兵に追い込まれて一族は滅亡する。

生涯

久安3年(1147年)、杉本義宗の子として生まれる。三浦一族の棟梁・三浦義明は祖父、三浦義村の父・義澄は叔父にあたる。

治承4年(1180年)、平家打倒の兵を挙げた源頼朝に呼応して祖父・義明らと挙兵、しかし、「石橋山の戦い」で頼朝軍が敗れたことを知った一族は一旦引き返そうとしたが、鎌倉由比ヶ浜で平家方の畠山重忠の軍勢と遭遇、合戦が始まってしまった。

合戦で疲弊した三浦軍は本拠・衣笠城に籠ったが平家方数千に攻められて落城、一族が逃亡するなか老齢の祖父・三浦義明は城に残って討ち死にしてしまった。

海上で北条時政と合流した三浦一族は再起を目指す頼朝とも安房で合流、地域の有力者である千葉常胤上総広常も頼朝方に加わり、平家側についていた畠山重忠も頼朝側に加わった。

勢いを盛り返した頼朝は常陸の佐竹氏を討ったのち鎌倉に凱旋、大倉に御所を構えて本拠に定め、義盛を侍所別当に任じた。


元暦元年(1184年)8月、頼朝の弟・範頼が1000余騎を率いて平家追討に出陣すると義盛も軍奉行として参陣、当初は兵糧と船の調達に苦労していたが、翌元暦2年(1185年)1月には北条義時、足利義兼らと豊後国へと渡り、平家軍を破る。

同年3月25日、壇ノ浦の戦いで平家は滅亡するが、

平家滅亡に功があった頼朝の弟・義経が兄と対立し、奥州藤原氏に身を寄せる。

文治5年(1189年)6月、藤原秀衡の後を継いだ泰衡が義経を討ち、鎌倉に首が届けられ、これを口実に頼朝は奥州攻めを決定、奥州藤原氏を滅亡させる。


建久元年(1190年)9月、頼朝の上洛に際して先陣を任され、左衛門尉に任じられる。

建久3年(1192年)、侍所別当職を梶原景時と交代、、景時に対する恨みとして残った。

建久8年(1198年)暮、頼朝が急な病で倒れ、正月を過ぎた建久9年(1199年)に死去、源頼家を支える「十三人の評定衆」の一人に選ばれる。

建久9年(1199年)10月、梶原景時が結城朝光を告発する事件が起き、これに不満をもった御家人66人が梶原景時に対する告発状を大江広元に提出、結果、景時は失脚、正治2年(1200年)、上洛途中に一族郎党とともに討たれる結果となる。この後、義盛は侍所別当に復職する。


建仁3年(1203年)9月、2代将軍・源頼家が危篤になり、頼家の子・一幡を推す比企一族と、頼朝の次男・千幡(後の3代将軍・源実朝)を推す北条氏の間で争いが起き、北条時政は比企能員を謀殺し残る一族も攻め滅ぼしている。

このとき、義盛は北条氏とともに比企一族を攻め滅ぼす戦いに参加するが、直後、奇跡的に目覚めた頼家から時政の首を取るよう命じられ、時政にこのことを報告している。

千幡が後継者になることを朝廷に報告した幕府は、これらのこともあわせて頼家を伊豆・修善寺に追放、翌元久元年(1204年)、時政にはなった刺客に襲われ暗殺されてしまった。


元久2年(1205年)、畠山重忠が謀反の疑いで討たれるが、重忠が率いる兵は少数であり、武装もしていなかったため無実であり、北条時政の謀略であったことが発覚する。

直後に時政は3代将軍・源実朝を廃して娘婿の平賀朝雅を後継にしようとする企てが発覚するが、実朝の母・政子と叔父・北条義時の反対にあい失敗、時政は失脚後出家、伊豆に追放されることとなった。


建暦3年(1213年)2月、一族のなかで頼家の子を擁立して北条氏を討つ計画が発覚、多くのものが許されるなか、首謀者である甥だけは許されることはなかった。

甥の旧邸は執権・北条義時により乱の鎮圧に功のあった別の御家人に下げ渡され、これに怒った和田一族はついに挙兵、激闘の末に滅ぼされてしまった。


和田家は孫の朝盛や曾孫の家盛などは生き残り、家盛の子孫は尾張佐久間氏となり戦国時代に佐久間信盛佐久間盛政らを輩出する。江戸時代においては盛政の次弟・柴田勝政(柴田勝家の一族・義宣の養子)の子で旗本になった勝重の系統が幕末まで続いた。佐久間象山は一説に盛政の長弟・安政の子孫とも言われている。

関連タグ

鎌倉時代 鎌倉幕府 源頼朝 北条義時

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました