概要
しかし信玄の死後、後継者・武田勝頼(信玄の嫡男にして四男)は織田信長の脅威に対抗するために謙信と和睦(甲越和与)する。謙信の死後、上杉家を継いだ上杉景勝(謙信の養子にして甥)と同盟(甲越同盟)を締結する。そして、その同盟の証として天正7(1579)年に勝頼の異母妹・菊姫(信玄の五女。六女説もある。)が景勝と結婚し、彼の正室になった。
要するに、武田信玄と上杉謙信の子供たちが結婚したのである。
菊姫が景勝に嫁いだ甲斐もあって、甲越同盟は良く機能した。その証拠として、信長が武田家に大攻勢を仕掛けた際、武田信玄の娘婿で最後まで武田家の味方だった人物は上杉景勝だけであった。
その後、武田家は滅亡。信長はその勢いで上杉家に対して大攻勢を仕掛ける。だがその最中に信長が横死したことにより織田軍は撤退し、景勝と菊姫は助かった。
その後、景勝が豊臣秀吉に臣従すると、菊姫は豊臣家の人質となる。関ヶ原の戦い後、景勝は徳川家康に降伏し、菊姫は徳川家の人質となる。
菊姫は、慶長8年(1603年)冬より病床に伏す。豊臣秀頼・千姫の祝言に出向いていた景勝は、以降伏見(菊姫はそこで人質となっていた)に滞在し、神社仏閣への祈願を行ったり、名医を招いたりなどして菊姫の快復を望んだ。しかしその翌年、菊姫は他界。彼女の訃報に景勝や上杉家の家臣たちはかなり悲嘆し、『上杉家御年譜』には「悲歎カキリナシ」とある。
良好な夫婦仲
政略結婚だったにもかかわらず、景勝と菊姫の仲は良かったと言われている。
その証拠として、
- 武田家が滅亡しても景勝は菊姫を正室のままにしていた(当時は、実家が滅亡したときに実子がいない場合は正室は側室に格下げされるのが常識だったが、景勝はそれをしなかった)。
- 菊姫と景勝の間に実子は生まれなかったものの、(当時は一夫多妻制だったにもかかわらず)景勝は長い間側室を持たなかった。菊姫が病床に伏すと、景勝は(後継者を作るために)桂岩院を側室にしたが、彼女が景勝との間に玉丸(のちの上杉定勝)を生んで以降は子供を作らなかった(また、景勝が生涯にわたって結婚した人物は菊姫と桂岩院だけである)。
- 前述した通り、景勝は病床に伏した菊姫を助けようと頑張った。その後菊姫が亡くなると、景勝は彼女の死を深く悲しんだ。
登場作品
上杉景勝役:北村一輝(画像左)
菊姫役:比嘉愛未(画像右)
関連イラスト
(画像中心の人物が上杉景勝。画像左から前に2番目が菊姫。)
関連タグ
武田信清…菊姫の異母弟(信玄の七男)。その縁により、義兄・上杉景勝に仕えて上杉御一門衆筆頭となり、子孫も上杉家に仕え続けた。