概要
ある程度人気・実績のある版権作品において発生し得るアンチ発言の一つ。
類義語は「公式が解釈違い」。
明言され確定していない設定やカップリング、未来予想図などを予想考察する事は、誰でも一度はやる自然なものである。
だが近年はそれに「強い期待や願望」を込めすぎた結果、それから外れた情報や反論に対して忌避的になり、時には激しい敵意さえ燃え上がらせる「過激派」なファンが増えてきている。
そして正式に制作・リリースする立場の公式から、"公式設定"や"公式見解"として実際に出された回答が「自分の理想像」と違っていた場合、幾らかは仕方ないと諦め受け入れていく。
しかし、中にはそれでも受け入れない者もおり、「作者も公式も嘘つきだ!」と否定し跳ねのけるのがこの台詞である。
一例
A「ワンピースの正体は今までの冒険の思い出なんじゃない?」
B「でも作者が否定してるよ」
A「そんなの作者が勝手に言ってるだけじゃん」
似たような言葉に、「原作で言ってないだけでちゃんと言ってる」、「原作とアニメで言ってないだけ」などがある。
この様に屁理屈を言うだけならまだ痛々しく見られるだけで良いが、極まった過激派の中には異なる見解を出した公式を「期待を裏切った」と逆恨みし、関連アカウント等にバッシングを行ったり、不特定多数へ自身の理想をばら撒くプロパガンダに走るアンチか厨房になってしまうものもいる。
作者や公式とて神では無い
「ジョジョの奇妙な冒険」の単行本第四巻の「おわびのためのあとがき」の文に「おとなはウソつきではないのです。まちがいをするだけなのです……」というものがある。
作者や公式設定とて間違いはあるものであり、それゆえに「公式が言っているからと言って宛てにならない」という主張にも一分の理があったりする。
中には、基本アンチや賛否両論には走らない寛容なユーザーでさえ擁護できない「酷い出来の駄作」がシリーズ内に生まれてしまう事も多々あり、「こんなものが正史になって欲しくない」と黒歴史化を望む声として、この言葉が使われる例も存在する。
荒らしとの曖昧さ
基本的には個人的な強い好悪をこじらせた結果こうなり、どの道十分な迷惑行為なのだが、単に「自分が好きじゃない」というだけで「寛容なユーザー層(自称)にとっても許せない作品だった!」と自分に都合よく解釈して騒ぎ出す自己中もおり、ハードルが非常に低くなりやすい。
更には他人に迷惑をかけたり叩いたりすることに快感を覚える「ネットイナゴ」が、荒らしをスムーズに行うための大義名分として成りすますケースも存在し、本気の不満なのか否かは、他人にはとても判断できないのが現状である。
周囲で行われるこの手の発言に同調したくなった場合、その発言者たちが本当に真面目に、冷静に言っているかに注意する必要がある。上記の様な荒らしたちの詭弁に乗せられ、そのままズルズルと同じレベルにまで堕落していくなんてこともありえるからだ。
ネタではない案件
あくまでネタとして使われるこの言葉だが、世界には真面目に「公式が言ってるだけ」を貫く事例が存在する。
イスラエルの首都はイスラエル自身がエルサレムと主張しているが、他国は認めていない。
逆に日本は公的に首都を東京と定める法律など存在しないが、世界中の誰もが「日本の首都は東京」と認めている。
その国の首都がどこか決める権利はその国自身にあるので、ある意味「公式が言ってるだけ」ともいえる。