概要
首都 | プレトリア(行政上の首都)・ブルームフォンテーン(司法上の首都)・ケープタウン(立法の首都) |
---|---|
人口 | 6060万4992人(2022年7月) |
面積 | 122万1037平方キロメートル |
独立 | 1910年5月31日(イギリスより) |
最大の都市 | ヨハネスブルグ |
公用語 | 英語・アフリカーンス語・バントゥー諸語 |
国家元首(職) | 大統領 |
政体 | 議院内閣制 共和国 |
南アフリカ共和国(みなみアフリカきょうわこく、英語:Republic of South Africa、アフリカーンス語:Republiek van Suid-Afrika、通称:南アフリカ)は、アフリカ大陸最南部に位置する共和国。アフリカ諸国では唯一G20に加盟している主要国である。
歴史
初期
1806年1月にケープ植民地が設立され、イギリス人はこの地の東の国境に最初に定住した。1909年9月にイギリス議会は南アフリカ法を成立させ、これによって名目上の独立が承認された。これにはケープ、トランスヴァール、ナタール、オレンジ自由国が含まれており、1910年5月に独立して南アフリカ連邦が成立した。
独立後(君主制時代)
1931年12月にウェストミンスター憲章が可決され、1934年8月に正式な独立主権国となった。1934年12月に統一党が結成され、1939年9月に党はイギリスの同盟国として、第2次世界大戦への連合の参入をめぐって分裂した。1948年5月に実施された総選挙で国民党が政権を掌握し、この時にアパルトヘイトが実施された。1960年3月に発生したシャープビル虐殺事件により、イギリスから人種主義政策に対する非難を受けた。
独立後(共和制移行後)
1960年10月に共和制への移行を問う国民投票が実施され、賛成多数で承認された。1961年5月に共和制に移行し、この時にイギリス連邦を脱退した。1991年6月までにアパルトヘイト政策を支えてきた根幹法を廃止して終結させ、1994年4月に民主化を達成して同年5月にネルソン・マンデラが大統領に就任した。
政治
政体は議院内閣制の共和国であり、国家元首は大統領である。大統領は国民議会(下院)の選挙が実施された後にその議員の中から選出され、大統領制と議院内閣制の中間的な性質を有する。
経済
古くから金などの希少金属の埋蔵量が非常に豊富であった事もあり、アフリカ諸国の中では最も経済的に豊かな国である。1991年6月まで存続していた差別政策のアパルトヘイトの影響が残存し、白人と黒人などの非白人層との間では今も経済面・識字率・就業率に大きな隔たりがある。さらに現代では金の採掘量が減少傾向にある上、劣悪な治安を嫌がって裕福な白人層が欧米諸国に流出する一方で、アフリカの紛争国から貧しい難民が流入している。
社会
人口
2011年10月に実施された国勢調査では5177万560人だったが、2022年7月の推計では6060万4992人であった。
国際人種差別撤廃デー
1966年10月に開催された第21回国際連合総会で、3月21日を国際人種差別撤廃の日として宣言した。これは1960年3月に発生したシャープビル虐殺事件が契機であり、この日は世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。
言語
オランダ語の派生言語であるアフリカーンス語と英語、黒人のバントゥー諸語が公用語であるが、白人支配への反感からアフリカーンス語は公用語の座から滑り落ち、英語が黒人層にまで浸透し、黒人言語も衰退の傾向にある。
治安
主要国の中では最も治安が悪く、戦争に相当する多数の殺人を初めとする凶悪犯罪が頻発している。最低でも女性の25パーセントはレイプ被害者であり、それもあって世界屈指のエイズ蔓延国になっている。上記の経済格差・人種対立・エイズの蔓延に加え、失業率の高さ・薬物の浸透・移民の流入などが手伝い、社会の荒廃は年々悪化の一途を辿っている。特に格差に至っては白人・黒人と黒人同士の貧富の差が激しい。
近年では近隣諸国で特にジンバブエから貧しい黒人が大量に流入している。彼らはほとんど教育を受けていない為にHIV感染率が高く、流入する移民はズールー人などの南アフリカ在来の黒人との間に深刻な軋轢をもたらしている。更に白人に対する襲撃事件が増加しており、身の危険を感じて欧米諸国に移住する白人が増えていると言われている。
国際関係
イギリス
1929年10月に外交関係を樹立し、共通の言語・歴史・文化・同様の法制度・財政システムを共有している。1997年11月に両国関係を促進する為にフォーラムが設立され、両国の政府高官はこのフォーラムを通じて重要な問題について話し合う事がよくある。
スポーツ
2010年6月にアフリカ大陸で初のFIFAワールドカップが開催され、サッカー人気が高い。残念ながら南アフリカ代表は自国開催としてのアドバンテージがありながら不振に終わり、開催国として大会史上初となるグループリーグを敗退した。
ラグビーが大変盛んな国としても有名で、南アフリカ代表(通称:スプリングボクス)はワールドカップで過去2回の優勝を誇る強豪チームの1つとしても有名である。