概要
大正4年(1915年)、山口春吉が、兵庫県神戸市兵庫区西出町で港湾労働者50人を集めて、港湾荷役人夫供給業「山口組」を結成したのが起源である。
2代目の頃までは、ヤクザとの付き合いも有ったが基本的にはカタギであり、3代目の時代に本格的に暴力団となり(終戦直後には組が潰れかけていたり、港湾労働の機械化やコンテナの普及などにより、本業である港湾荷役人夫供給業が立ち行かなくなった為)、1代にして「日本最大の暴力団」となる。
つまり、日本有数の暴力団でありながら、元々はカタギの組織だったという異色の歴史も持つ。そのためか暴力団となって以降も、他組織との抗争では暴力団間の不文律・慣習を無視する事が多く、結果として山口組によって「暴力団抗争は主に拳銃を使用した暗殺」というイメージが広まる事になった。
また、初代の頃から芸能興業にも関わり、暴力団と芸能界がズブズブだった頃には、神戸芸能社という芸能プロダクションを運営し、芸能界やプロ・スポーツにも大きな影響力を持っていた。
例えば、3代目組長・田岡一雄がある昭和の有名歌手のパトロンであった事は両者が生きていた頃から広く知られており、昭和の一時期に頻発した「海外旅行に行った芸能人やプロスポーツ選手が拳銃密輸の容疑で逮捕される」という事件は山口組が関係していると見られている。
組織構成
組員は2010年3月現在で組長(親分)、舎弟(弟分)7人、若中(子分)79人の計87人である。 組長を除き、これら86人の舎弟・若中は直参(直系組長)と呼ばれ、それぞれが数十人~数千人の構成員を抱える組織のトップである。
2010年現在、その構成員数は約20,300人、準構成員数は約16,100人の合計約36,400人であり、その人数は全暴力団構成員・準構成員数約84,200人のうちの46.3%を占めている。
なお、他の暴力団にも言える事だが「山口組」という名称は、狭義では山口組本家(民間企業で喩えるなら持株会社)の意味で、広義では山口組傘下の暴力団全て(民間企業で喩えるならn次子会社までの全ての系列企業)の意味で使われるので注意が必要。(上記の山口組の組員に関する記述は狭義の山口組、つまり山口組本家についての記述)
山口組も含めて、ある程度以上の規模の暴力団では、いわゆる「本家」の「組員」は、基本的には2次団体(いわゆる直参 / 直系)の組長のみである。(本家の雑用その他は傘下の団体の組員が行なっている)
傘下組事務所は広島、沖縄の2県を除いた45都道府県に置かれていると言われる。
「山口」の2文字を菱形にデザインした「山菱」と呼ばれる代紋を用いている。
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- 設立年:1915年
- 設立場所:兵庫県 神戸市
- 設立者:山口春吉
- 本部:〒657-0067
兵庫県神戸市灘区篠原本町4-3-1[1]
北緯34度43分12秒 東経135度13分34.9秒 / 北緯34.72度 東経135.226361度 / 34.72; 135.226361座標: 北緯34度43分12秒 東経135度13分34.9秒 / 北緯34.72度 東経135.226361度 / 34.72; 135.226361
- 現首領:司忍
- 活動期間:1915年~現在
- 活動範囲:1都1道2府41県
- 構成民族:日本人、在日朝鮮人
- 構成員総数:約36,400人(2010年末時点)
- 構成員数:約20,300人
- 準構成員数:約16,400人
- 主な活動:みかじめ料、恐喝、麻薬取引、売春、賭博、高利貸し、総会屋、ほか合法商売
- 友好組織:稲川会、松葉会、双愛会、共政会、会津小鉄会など
- 敵対組織:住吉会、極東会
綱領と組指針
三代目時代に制定された5条からなる「綱領」が、定例会など行事の際には唱和される。また、年ごとの「組指針」も定められている。
六代目発足以降「警察官と接触しない」「警察機関に人、物を出さない」「警察官を組事務所に入れさせない」の三点を定め警察との距離をおいている。
歴代組長
- 初代(1915年~1925年):山口春吉
- 2代目(1925年~1942年):山口 登(春吉の長男)
- 3代目(1946年~1981年):田岡一雄
- 4代目(1984年~1985年):竹中正久(竹中組組長)
- 5代目(1989年~2005年):渡辺芳則(二代目山健組組長)
- 6代目(2005年~):司忍(弘田組組長、二代目弘道会総裁)
歴代若頭
山口組若頭とは、暴力団山口組の役職の中では組長に次ぐナンバー2である。
二代目時代
- 大長一雄
- 澄田実(-1942年)
三代目時代
- 山田久一(1946年-)
- 安原政雄(-1955年) - 辞任
- 地道行雄(1955年-1968年)※一時期、若頭の役を降りていた期間がある - 解任
- 梶原清晴(1968年-1971年) - 事故死
- 山本健一(1971年-1982年) - 病死
- 竹中正久(1982年-1984年)※三代目代行時代 - 四代目山口組組長へ昇格
四代目時代
- 中山勝正(1984年-1985年) - 一和会により暗殺
- 渡辺芳則(1985年-1989年)※四代目代行時代 - 五代目山口組組長へ昇格
五代目時代
- 宅見勝(1989年-1997年) - 中野会により暗殺
- 司忍(2005年-2005年) - 六代目山口組組長へ昇格
六代目時代
- 高山清司(2005年-現在)
六代目山口組
最高幹部
役職 | 氏名 | 二次団体 | 本部 |
---|---|---|---|
組長 | 司忍(本名:篠田建市) | ||
若頭(執行部) | 髙山清司(高山清司) | 二代目弘道会会長 | 愛知県名古屋市中村区 |
顧問(舎弟) | 石田章六(本名:朴 泰俊) | 章友会会長 | 大阪府大阪市北区 |
顧問(舎弟) | 大石誉夫 | 大石組組長 | 岡山県岡山市北区 |
顧問(舎弟) | 尾崎彰春(本名:尾崎昭治) | 心腹会会長 | 徳島県徳島市 |
総本部長(執行部 | 入江禎 | 二代目宅見組組長 | 大阪府大阪市中央区 |
若頭補佐・大阪南ブロック長(執行部) | 橋本弘文(本名:姜弘文) | 極心連合会会長 | 大阪府東大阪市 |
若頭補佐・大阪北ブロック長(執行部) | 寺岡修 | 俠友会(侠友会)会長 | 兵庫県西宮市 |
若頭補佐・九州ブロック長(執行部) | 青山千尋 | 二代目伊豆組組長 | 福岡県福岡市中央区 |
若頭補佐・関東ブロック長(執行部) | 鈴木一彦 | 旭導会会長 | 北海道旭川市 |
若頭補佐・阪神ブロック長(執行部) | 井上邦雄(本名:桑田邦雄) | 四代目山健組組長 | 兵庫県神戸市中央区 |
若頭補佐・中部ブロック長(執行部) | 正木年男 | 正木組組長 | 福井県敦賀市 |
若頭補佐・中国・四国ブロック長(執行部) | 池田孝志 | 池田組組長 | 岡山県岡山市北区 |
舎弟
役職 | 氏名 | 二次団体 | 本部 |
---|---|---|---|
舎弟 | 英五郎(本名:津留英雄) | 英組組長 | 大阪府大阪市西淀川区 |
舎弟 | 玉地健治 | 玉地組組長 | 大阪府堺市堺区 |
舎弟 | 川合康允 | 川合組組長 | 岐阜県大垣市 |
幹部
役職 | 氏名 | 二次団体 | 本部 |
---|---|---|---|
幹部 | 大原宏延(本名:大原広司) | 大原組組長 | 大阪府大阪市生野区 |
幹部・総本部長補佐 | 毛利善長(本名:毛利時比呂) | 毛利組組長 | 大阪府吹田市 |
幹部・組長付 | 光安克明(本名:伊豆克明) | 光生会会長 | 福岡県福岡市博多区 |
幹部・慶弔委員長 | 岡本久男 | 二代目松下組組長 | 兵庫県神戸市中央区 |
幹部・総本部長補佐 | 剣柾和(本名:剣政和) | 二代目黒誠会会長 | 大阪府大阪市北区 |
幹部・若頭付 | 江口健治 | 二代目健心会会長 | 大阪府大阪市浪速区 |
幹部・若頭付 | 森尾卯太男 | 大同会会長 | 鳥取県米子市 |
幹部 | 藤井英治 | 五代目國粹会会長 | 東京都台東区 |
幹部・組織委員長 | 髙野永次(高野永次) | 三代目織田組組長 | 大阪府大阪市中央区 |
幹部・組織委員 | 高木康男(本名:陣内唯孝) | 六代目清水一家総長 | 静岡県静岡市清水区 |
兵庫若中
役職 | 氏名 | 二次団体 | 本部 |
---|---|---|---|
若中 | 中村天地朗(本名:中村豊彦) | 二代目大平組組長 | 兵庫県尼崎市 |
若中 | 細川幹雄 | 細川組組長 | 兵庫県尼崎市 |
若中 | 柴田健吾 | 柴田会会長 | 兵庫県加古川市 |
若中・組織委員 | 古川恵一 | 二代目古川組組長 | 兵庫県尼崎市 |
若中・総本部当番責任者 | 清水武 | 二代目岸本組組長 | 兵庫県神戸市中央区 |
若中 | 宮下和美 | 二代目西脇組組長 | 兵庫県神戸市西区 |
若中 | 池田幸治 | 四代目真鍋組組長 | 兵庫県尼崎市 |
大阪若中
役職 | 氏名 | 二次団体 | 本部 |
---|---|---|---|
若中 | 奥浦清司 | 奥浦組組長 | 大阪府東大阪市 |
若中 | 浅井昌弘 | 浅井組組長 | 大阪府吹田市 |
若中 | 川口和慶 | 三代目小車誠会本家会長 | 大阪府大阪市西成区 |
若中 | 野村 孝 | 三代目一会会長 | 大阪府大阪市北区 |
若中・慶弔委員 | 髙木廣美(高木廣美) | 五代目早野会会長 | 大阪府大阪市浪速区 |
若中・組織委員 | 布川皓二 | 二代目中西組組長 | 大阪府大阪市中央区 |
若中 | 佐達秀正 | 三代目大野一家総長 | 大阪府大阪市港区 |
若中・総本部当番責任者 | 里照仁 | 二代目中島組組長 | 大阪府大阪市淀川区 |
若中・慶弔委員 | 奧村修 | 二代目勝野組組長 | 大阪府大阪市西成区 |
若中・総本部当番責任者 | 竹森竜治 | 四代目澄田会会長 | 大阪府大阪市北区 |
若中・総本部当番責任者 | 須ノ内祥吾 | 二代目東生会会長 | 大阪府大阪市淀川区 |
若中・総本部当番責任者 | 亀井利臣 | 三代目松山組組長 | 大阪府東大阪市 |
若中 | 能塚恵 | 三代目一心会会長 | 大阪府大阪市中央区 |
若中 | 秋良東力 | 秋良連合会会長 | 大阪府大阪市浪速区 |
若中 | 飯田倫功(本名:飯田勝義) | 倭和会会長 | 大阪府大阪市中央区 |
若中 | 井村一男 | 四代目南一家会長 | 大阪府大阪市中央区 |
他都道府県若中
役職 | 氏名 | 二次団体 | 本部 |
---|---|---|---|
若中 | 青野哲也 | 七代目一力一家総長 | 静岡県浜松市南区 |
若中 | 尾崎勝彦 | 尾崎組組長 | 徳島県徳島市 |
若中 | 根本辰男 | 二代目川内組組長 | 福井県あわら市 |
若中 | 北島虎 | 二代目杉組組長 | 愛知県名古屋市中村区 |
若中・慶弔委員 | 金光哲男 | 金光会会長 | 福岡県福岡市博多区 |
若中 | 正田悟 | 二代目松山会会長 | 愛媛県松山市 |
若中 | 貝本健 | 貝本会会長 | 愛知県名古屋市中村区 |
若中 | 船木一治 | 三代目誠友会会長 | 北海道札幌市中央区 |
若中・慶弔委員 | 篠原重則 | 二代目若林組組長 | 香川県高松市 |
若中・総本部当番責任者 | 菱田達之 | 二代目愛桜会会長 | 三重県四日市市 |
若中 | 山本克博 | 五代目豪友会会長 | 高知県高知市 |
若中・慶弔委員 | 田保伸一 | 二代目昭成会会長 | 石川県金沢市 |
若中 | 掛野一彦 | 二代目近藤組組長 | 岐阜県岐阜市 |
若中・総本部当番責任者 | 茶谷政雄(本名:茶谷正夫) | 茶谷政一家総長 | 北海道札幌市白石区 |
若中・慶弔委員 | 落合勇治(本名:落合益幸) | 二代目小西一家総長 | 静岡県静岡市葵区 |
若中・組織委員 | 木村阪喜 | 木村會会長 | 愛媛県松山市 |
若中・総本部当番責任者 | 髙橋久雄(高橋久雄) | 雄成会会長 | 京都府京都市南区 |
若中・総本部当番責任者 | 田中三次 | 三代目稲葉一家総長 | 熊本県熊本市 |
若中 | 宮本浩二 | 四代目北岡会会長 | 熊本県鹿本郡 |
若中 | 藤原健治 | 三代目熊本組組長 | 岡山県玉野市 |
若中 | 田堀寛 | 二代目名神会会長 | 愛知県名古屋市中区 |
若中・組織委員 | 清田健二 | 十代目瀬戸一家総裁 | 愛知県瀬戸市 |
若中 | 津田力 | 二代目倉心会会長 | 和歌山県和歌山市 |
若中 | 良知政志 | 良知組組長 | 静岡県吉田町 |
若中 | 塚本修正 | 藤友会会長 | 静岡県富士宮市 |
若中 | 一ノ宮敏彰 | 一道会会長 | 福岡県福岡市中央区 |
若中 | 髙山誠賢(高山誠賢、本名:高山義友希) | 淡海一家総長 | 滋賀県大津市 |
若中 | 山嵜昌之 | 三代目益田組組長 | 神奈川県横浜市 |
若中 | 富田丈夫 | 國領屋一家総長 | 静岡県浜松市中区 |
若中 | 生野靖道(本名:生野靖一) | 四代目石井一家総長 | 大分県別府市 |
若中 | 浜田重正 | 二代目浜尾組組長 | 神奈川県横浜市中区 |
若中 | 薄葉政嘉(本名:薄葉暢洋) | 十一代目平井一家総裁 | 愛知県豊橋市 |
若中 | 河内敏之(本名:河内敏郎) | 三代目倉本組組長 | 奈良県奈良市 |
若中 | 波入信一 | 七代目奥州会津角定一家総長 | 福島県会津若松市 |
若中 | 清崎達也 | 大志会会長 | 熊本県八代市 |
若中 | 中山和廣 | 三代目矢嶋組組長 | 愛媛県今治市 |
親戚・友好団体
- 三代目浅野組 - 組長・串田芳明は司 忍の代紋違いの舎弟。
- 松葉会 - 団体同士の親戚縁組。
- 双愛会 - 会長・塩島正則を司 忍が後見。
- 五代目共政会 - 会長・守屋 輯を司 忍が後見。
- 三代目福博会 - 会長・長岡寅夫を司 忍が後見。
- 東亜会 - 会長・金海芳雄を司 忍が後見。
- 三代目侠道会 - 会長・池澤 望と六代目山口組若頭補佐・寺岡 修が五分兄弟分。
- 二代目親和会 - 会長・吉良博文と六代目山口組幹部・光安克明が五分兄弟分。
- 六代目会津小鉄会 - 会長・馬場美次を六代目山口組若頭・髙山清司が後見。
- 七代目合田一家 - 総長・温井完治を髙山清司が後見。
- 八代目酒梅組 - 組長・南 喜雅を髙山清司が後見。
- 稲川会 - 稲川会三代目山川一家総長・内堀和也と六代目山口組二代目弘道会二代目髙山組組長・竹内照明が五分兄弟分。
日本社会との関わり
山口組の収入源は賭博・麻薬などによるものであるが、それらの収入金額・売上高・資本金はトヨタ自動車を凌ぐ日本トップの企業であるという指摘がある。菅沼光弘によれば、同和・部落・在日朝鮮人出身者が大半であり、兵庫県神戸市の税収を担い、中部国際空港の建設に関わったとされ、日本社会の中に深く根ざし、影響力を行使するものであるという指摘がなされた。
また、元山口組顧問弁護士の山之内幸夫は『文藝春秋』昭和59年11月号に寄せた「山口組顧問弁護士の手記」において「ヤクザには在日朝鮮人や同和地区出身者が多いのも事実である」「約65万人といわれる在日朝鮮人のうち約50%が兵庫・大阪・京都に集中していることと山口組の発展は決して無関係ではなく、山口組は部落差別や在日朝鮮人差別の問題をなしにしては語れない」と述べた。
カナダのジャーナリスト・古歩道ベンジャミンによると「山口組には以前サハリンで命を狙われたことがあり、ABCテレビの『おはようコールABC』収録後再び弘道会に命を狙われた」という。
分裂騒動
2015年8月に、傘下の大手組織のうち篠田現組長の出身母体にあたる名古屋の弘道会と関西地方の山健組が対立、本格的に分裂した。
弘道会系が本部を名古屋に移そうとしたことがその一因とも言われており、山健組とそれに同調するものたちは「神戸山口組」と名乗るようになった。
さらに2017年、神戸派の一部がさらに分裂して「任侠山口組」を名乗っており、大きく3分裂したことになる。