دولتْ علیّه عثمانیّه
概要
小アジア(アナトリア)に起こったトルコ系民族のイスラム教にもとずく国家勢力
1453年にビザンツ帝国を滅亡させ、ローマ帝国文明に引導を渡した。
陥落後、オスマンのスルタン(総長)のメフメト2世はルーム・カイサル=ローマ・カエサル(ローマ皇帝)を名乗り中世ヨーロッパへの侵略始める。
目標として語られるのは『青い林檎の国まで取れ』(イタリアのこと) byスレイマン2世
アラビア半島を版図に収める、かつての大ローマニアの属州地域に匹敵し、隆盛を極めた。
首都は幾度かの遷都を経た後に、イスタンブールとなった。
オスマン帝国国歌
Ottoman Empire Anthem (1876)(1299-1922) オスマン帝国(1876)(1299-1922)
イェ二チェリ軍団の音楽
簡単な解説
- セルジューク朝を引き継いで成立した、トルコの前身のイスラム教の一大帝国。
- 小アジア(アナトリア)のオスマン家を中心に地中海アフリカ沿岸などを版図に入れたイスラム大帝国。
- オスマン語:دولتْ علیّه عثمانیّه
- ラテン語発音:Devlet-i ʿAliyye-i ʿOs̠māniyye
- 存続期間:1299年 - 1922年
- オスマン家の当主が代々皇帝として君臨する国家であることから、「オスマン家の帝国=オスマン帝国」を自称した。
- 1453年に東ローマ帝国を滅ぼし、同国の首都コンスタンティノポリスを「イスタンブール」と改称して首都とした。
- 最盛期には中東と東欧を支配する大帝国であった。イスラム教に改宗させたキリスト教徒を中心に編成された親衛団(イェニチェリ)で有名。
関連
国家:東ローマ帝国またはビザンティン帝国(ビザンツ帝国・ビザンツ)
指導者:メフメト2世/スレイマン1世(スレイマン大帝)/ムスタファ・ケマル