「泰皇から皇を残し、上古の帝位の帝と組み合わせて
『皇帝』と呼ぶことにいたせ。
また、朕を始めとして以後は二世、三世と千万世に至るまで
これを無窮に伝えよ」
『うろおぼえ人間物語より』
秦の王が紀元前221年に戦国時代を制し諸国を統一したときの版図はその時代の欧州のどの王朝よりも広く、欧州の全人口を合わせても足りぬほどの人間を「支配下」においた。。これはいままでの「王」とはちがう存在が誕生した瞬間でもあった。
『秦始皇帝』 最初にして最上位の秦皇帝
Shi Huangdi First Emperor
始皇帝しこうてい正式は『秦始皇帝』
世没:紀元前259年 - 紀元前210年
秦王第31代(在位紀元前246年 - 紀元前221年)
- 中国戦国時代の姓は嬴(えい)、諱は政(せい)。
現代中国語では、始皇帝 (Shǐ Huángdì, シーフアンティ)
または秦始皇 (Qín Shǐ Huáng, チンシーフアン) と称される。
秦の始皇帝は自分がこの【三皇五帝より尊い存在である=現人神】と言う考えから
皇帝と言う言葉を造語し自分に対する呼び名として使わせた。
以降、中国の支配者は皇帝を名乗ることになる。
- 彼は紀元前221年に中国統一を成し遂げた記念として新たなる爵位『皇帝』を宣言、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。
- 中国統一を成し遂げた後に「始皇帝」と名乗った。
- 彼は中国の歴史上の重要な人物であり、約2000年に及ぶ中華皇帝の先駆者である。
最初の『皇帝』にして最も残虐な『皇帝』の一人
統一後は、重臣の李斯とともに主要経済活動や政治改革を実行。
始皇帝は巨大プロジェクトを実行し初期の万里の長城や等身大の兵馬俑で知られる秦始皇帝陵の建設、国家単位での交通規則や度量衡の制定などを、多くの人民が払う犠牲の上に行った。また焚書坑儒を実行した事でも知られる。
彼がいなければ『皇帝』という単語は誕生していなかったし『天皇』もまた然り。
関連
冕冠(べんかん)皇帝の頭にかぶっている、『すだれ』のついた冠
暴君 始皇帝は暴君中の暴君で有名 とにかく『赤い皇帝』以上の処刑だと推測する。
参考『皇なつきの始皇帝暗殺』