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清和源氏の編集履歴

2024-01-11 19:28:23 バージョン

清和源氏

せいわげんじ

平安時代に成立した源氏一族の一つで清和帝を祖とする。

概要

成立

第56代清和天皇の子を祖とする一族だが清和天皇の第六皇子の子である源経基を祖とする流れが一般的である。

(57代目陽成帝の子供(清蔭)の系統で経基のいとこは陽成源氏という)


家紋は笹竜胆(ささりんどう)だがアレンジやまったく異なるものも使用されている。

出身は摂津国で藤原氏に仕えた。


経基流の動き

経基は藤原忠平に仕えたが、武蔵介時代に平将門の乱が拡大する一因を作ったり忠平に拘禁されたこともあった。のち藤原純友征伐に小野好古小野篁の孫、小野道風の兄)と赴き名誉回復を果たしたがあまりパッとしない人物だった。


子の源満仲安和の変で藤原氏のライバルだった源高明の失脚に加担するなどして藤原氏に取り入り中央での武門の道を固めた。


満仲の子である長男・源頼光、次男・源頼親、三男・源頼信はいずれも藤原道長に仕え名を上げた。

そして頼光を祖とする摂津源氏、頼親を祖とする大和源氏、そして頼信を祖とする河内源氏がそれぞれ摂津・大和・河内で力を持つことになった。


  • 摂津源氏

満仲が本拠地にした摂津国多田荘を受け継いだ宗家筋。その後も多田荘で力を持ち本流は多田を号し「鹿ヶ谷の謀議」を平清盛に密告したことで知られる多田行綱を輩出する。馬場を号し難波津の渡辺党を従えていた源頼政は本来分流筋だが従三位まで出世したことなどもありこちらが本流に見られることも少なくない。


  • 河内源氏

源氏=河内源氏と言われるのは鎌倉幕府を立てた源頼朝室町幕府を立てた足利尊氏が共に義家流だったため。

一族同士の争いが絶えず衰退と復活を繰り返し源氏将軍家は絶え、足利将軍家も男系として平島公方家(14代将軍義栄の弟の系統)が現在まで続いている。


  • 大和源氏

大和国司となった頼親の家系。のちに宇野を称したが寺社勢力に押され大和の豪族程度の力しか持てなかった。しかし、伊予の豪族で楠木正成と因縁ある大森彦七とかが後裔を称するなど、河内や摂津に及ばないもののそれなりに力があったことがうかがえる。



清和源氏流の氏族

  • 摂津源氏
    • 多田源氏:山縣氏馬場氏多田氏太田氏下間氏など
    • 美濃源氏:明智氏土岐氏浅野氏など

  • 大和源氏:宇野氏陸奥石川氏、など

  • 河内源氏
    • 源為義の子孫:小山田氏八田氏宍戸氏など
    • 源頼清の子孫(信濃源氏):村上氏河内氏出浦氏など
    • 源義家の子孫:新田氏山名氏里見氏足利氏斯波氏最上氏細川氏仁木氏今川氏吉良氏飯富氏石川氏木曾氏吉見氏森氏など
    • 源義光の子孫(常陸源氏・近江源氏):佐竹氏山入氏山本氏など
    • 源義光の子孫(甲斐源氏・信濃源氏):逸見氏武田氏小笠原氏板垣氏南部氏平賀氏など
    • 源満快(満仲の弟)の子孫(信濃源氏):伊奈氏依田氏夏目氏片切氏(片桐氏)泉氏など

また、貴族として宮中に残った竹内家(元は平賀氏の分家である大内氏※)がある。


大内義隆らを輩出した周防大内氏は多々良氏系


余談

清和源氏にゆかりのある神社は3つ

発祥地にして摂津源氏の本拠地にあった多田神社、河内源氏の発祥地の壷井八幡宮、経基邸跡に建てられた六孫王神社

この3つを源氏三神社という。


島津家や琉球王朝の舜天流、結城氏などは清和源氏を自称している。

(島津家は惟宗氏と言われる渡来人系、舜天系は伝説、結城氏は藤原氏流)


関連項目


源氏 平安時代 幕府 清和天皇

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