人物
父は清和天皇の第6皇子貞純親王。一説では陽成天皇の皇子元平親王の皇子という説もある。
別名は六孫王。
生年
延喜17年(917年)という説があるが明確ではない。他に890年、893年、897年など諸説ある。
経歴
天慶元年(938年)に武蔵介として武蔵国に下向するが足立郡司武蔵武芝と争った。この騒動は平将門によって収まったがその後経基は朝廷に将門が謀反を起こしたことを報告している。天慶4年(941年)に藤原純友の謀反を小野好古と共に鎮圧に向かい桑原生行を捕らえた。その後各国の国司に就任し鎮守府将軍に就任。応和元年(961年)11月10日死去。享年不明。