艦歴
大和(初代)は、1885年進水の日本海軍のスループ。初代・葛城型の2番艦として神戸小野浜造船所で建造され、初代艦長は東郷平八郎。大型の帆をそなえており帆走もできたが、レシプロ蒸気機関での汽走を基本とした。ただし速力は最大13ノットと当時の軍艦としてもやや低速であった。葛城型の船体は旧式な鉄骨木皮ながら堅牢であったと評価され、長く活躍している。
1887年に就役し日清戦争・日露戦争に参戦後、1922年に姉妹艦の「武蔵」とともに測量艦に類別され、1935年まで測量に従事した。オホーツク海の北見大和堆・日本海の大和堆の海中地名は本艦の名にちなむ。
軍艦から除籍されたあとは浦賀港内で少年刑務所の宿泊船になったが、その役割を終えて解体待ちとなり、太平洋戦争敗戦直後に台風で沈没するまで海に浮かんでいた。結果的に本艦は、2代目の「大和」より後まで船として生きていたことになる。
関連タグ
砲艦赤城 - こちらも2代目が有名な艦つながり。それだけでは無く同じ小野浜造船所で建造されていることや、2代目よりも長生きしたこと、敗戦直後に日本を襲った枕崎台風で沈没した事も共通している。