概要
ジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス(1942年11月27日~1970年9月18日)
日本ではジミヘンと略されることも。
ブルースとロックンロールを融合させ、後にハードロックと呼ばれるジャンルを生み出した始祖の一人であり、現代ロック・ミュージックへの道を切り開いた伝説的ギタリスト。
右利き用のストラトキャスターを左持ち(弦も左利き用に張りなおしている)で演奏するのが特徴。
歯でギターを弾いたり、ステージ上でギターに火をつけたり叩き壊したりするパフォーマンスで広く知られているが、メジャーでの活動期間がわずか4年ほどであったにもかかわらず、その超絶的ギターテクニックに魅了され、影響を受けたミュージシャンは数知れない。
アメリカの音楽雑誌での「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」という企画では、何度も1位を獲得している。
ジミヘンが登場した当初、ストラトキャスターは廃盤も噂される不人気モデルであったが、その変幻自在のパフォーマンスにより一躍人気モデルに返り咲き、以降はロック・ギターといえばストラトキャスターと言うほどの不動の地位を築くまでになった。だが、ストラトキャスターを製造するフェンダー社の創業者で自身もギタリストでもあるレオ・フェンダーはいわゆるトレモロ・アームを巧みに使って音を歪ませるジミヘンのプレイを見て「トレモロ・アームはあんな風に使うものではない」と激怒したとも言われる。
一般的にはギタリストとして知られるが、作曲家・編曲家・音響技術者としても極めて独特かつ秀でた才能の持ち主であった。
エフェクターやビブラート・ユニットといった周辺機器、さらにギターのボディを叩いたりして出した音をも大胆かつ精妙に駆使して編み出した多彩で画期的な表現や演奏技法は、当時の音楽界に激震を走らせ、彼によってエレキギターという楽器の可能性はそれまでとは比較にならないほど拡大したと謂われる。
今もってなお、彼の演奏にはどうやって鳴らしてるのか判明していない謎のサウンドが数多く存在している。
略歴
1942年11月27日、ワシントン州シアトルで誕生。出生名はジョニー・アレン・ヘンドリックス。
父のジェームズ・アレン・ヘンドリックスは第二次世界大戦に出征中、母ルシールは17歳の遊びたい盛りで家庭を顧みず、伯母夫婦に育てられる。父方の祖父は黒人、祖母はインディアンだった。
1945年、父が戦争から戻り二人暮らしとなり、ジェームズ・マーシャル・ヘンドリックスと改名。度々インディアン居留地に住んでいた祖母ノラ・ヘンドリックスに預けられ、チェロキー族の昔話を聞かされる。
1957年、父が中古のアコースティック・ギターを買い与える。
1961年、自動車泥棒で逮捕される。投獄を回避するため陸軍に入隊し空挺師団へ配属された。ベトナム戦争へ行きたくないので同性愛者として振舞い、除隊勧告を受けることに成功。
除隊後はアイズレー・ブラザーズやアイク&ターナーなどのバックを務めた。
1966年、グリニッジ・ビレッジ(ニューヨーク)でチャス・チャンドラーに会い、スカウトされる。チャス・チャンドラーはジミをブルース・ロックが流行っているイギリスへ連れて行き、ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルをスカウトしてジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成させ、デビュー・アルバムをプロデュースした。ジミの破天荒なプレイは話題を呼び、プロのミュージシャン達からもリスペクトを受ける。
1967年、カリフォルニア州でモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。機材を破壊しまくるザ・フーに対抗してギターを燃やすパフォーマンスを見せ、アメリカでもスターとなった。その反面、黒人でありながら白人向けロックスターとして売り出されたため黒人たちから反感を持たれた。また、過激なパフォーマンスばかり求める観客に悩まされた。
1968年、バンド周辺の人間関係悪化に嫌気がさし、チャス・チャンドラーがマネージャーをやめる。
1969年、ノエル・レディングの脱退によりエクスペリエンスは解散。ビッグバンド編成のジプシー・サンズ&レインボウズを結成し、ウッドストック・フェスティバルでアメリカ国歌を演奏。ビッグバンドは長続きせず、3人編成のバンド・オブ・ジプシーズとなる。この頃から薬物依存が深刻になる。
1970年、結成から2ヶ月でバンド・オブ・ジプシーズが解散。以後はソロ活動となる。マイケル・ジェフリーのマネージメントに不満を持ち、チャス・チャンドラーの復帰を願っていた。9月18日未明、ロンドンのホテルで睡眠中に嘔吐したことにより窒息死。享年27歳。