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しん

中国の三国時代の国の名前。三国時代を平定した王朝名でもある。 漢字表記:晉

王朝としての晋・晉

前身は。重臣であった司馬懿がクーデターを起こした事により、の実権が事実上、司馬一族の物となり、司馬懿の孫の司馬炎が魏から「禅譲」を受け皇帝となって晋王朝を開き、を滅ぼし三国統一を成し遂げた。


しかしながら、司馬炎とその崩御後に後を継いだ第二代皇帝の恵帝の資質の無さが原因となって内乱状態に陥り、一度滅亡した。その後、残存の後続により建康(現在の南京)に亡命政権が樹立された。統一政権としての晋を西晋、現在の中国南部のみを支配した亡命政権としての晋を東晋と称する。

西晋が滅亡した後の中国北部は諸民族による政権が乱立し五胡十六国時代と呼ばれ、その後の南北朝時代を経て、数百年たって、ようやくという形で統一王朝ができたのである。

更に、、そして五胡十六国時代全てを指して、魏晋南北朝時代と呼ばれる事もある。


真・三國無双における晋

「6」より、無双シリーズの第4勢力として、

という国ではなく、あくまで名目上の勢力として登場。


“後魏”、「五丈原の戦い」以降の魏として言うとわかり易いかもしれない。

実際のところ、晋王朝成立後ではなく、魏でも後半の歴史が描かれる。

主人公は、に対してクーデターを起こした、司馬懿(前作までは彼はの武将だった)とその息子たちである、司馬師司馬昭である。

しかし彼らも歴史上は、魏の武将である。

そしてこの晋の物語のエンディングでようやく晋王朝が成立した事が語られる。

(※「6」では、晋勢力の登場武将で、王朝成立まで生きていたのは王元姫だけであり、

「7」では、賈充も登場。)


晋のストーリーでは、曹操劉備諸葛亮はすでに死去。

孫権がのちに死去している事が語られており、

今までのシリーズ、そもそも「三国志」のあらゆる物語も更に先に進んだストーリーである。


(例を挙げると、今まで最終ステージである事が多かった、との決戦の地、五丈原の戦いはすでに終了。合肥新城の戦いは中盤のステージでしか無く、(それも今までのものは、234年の合肥新城の戦いであり、これはさらに後の合肥新城の戦いである。また、この戦いにおいて孫権の後継者たちしか登場しない)

正史『三国志』「晋伝」という歴史書には、この時代の出来事が「晋」に至る伝として描かれているため、の物語と言える。


晋以外の勢力の総指揮者、そして国自体が、凡愚とさえ言われてしまい、どことなく、頼りが無くなってしまった感が否めない。

ちなみに、前作では登場しなかった姜維は4回も攻めて来て、

これが、における重要な戦いとなる。

あたかも姜維狂信者のような姿であるが、これも諸葛亮の意志を継ぐためであったと言われる。


真・三國無双6のストーリーモードは、歴史的にもかなり忠実になっており、重要な武将でも死去する時は、病気でも死去してしまい、それは勢力とて例外ではない。

例として司馬懿司馬師司馬昭という、主人公たちでさえ、である。


勢力の登場武将

※史実上はの武将、のストーリー後半から登場する。

司馬懿

郭淮

夏侯覇


※史実上はの武将、のストーリーの終盤、五丈原の戦い以後と、

のストーリーに、あくまでもの武将として登場。

張春華

司馬師

司馬昭(晋王とされる)

諸葛誕

鍾会

鄧艾


※6猛将伝では五丈原撤退戦から、の物語を中心に登場。

の時代にも生きている人物。

王元姫

賈充


の物語では、の武将として描かれる。勢力はに属する。

夏侯覇


※三国統一をした人。

三国志大戦などでは登場。

無双の物語中でも後ろ姿は登場している。

司馬炎 (司馬昭王元姫の子)


ゲーム未登場

羊祜

杜預

関連タグ

中国 歴史 竹林の七賢  実在の王朝の「晋」

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