概要
2010年、大阪桐蔭高校へ進学し、1年生の夏からベンチ入り、2年春からエースとなった。
2012年、3年生の時に挑んだ春のセンバツ・夏の甲子園では主戦投手として、大阪桐蔭の春夏連覇に貢献した。
同年2012年のドラフト会議で阪神タイガース、オリックス・バファローズ、東京ヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズの4球団から1位指名を受け、抽選の結果、阪神が交渉権を獲得した。
阪神ではかつて巨人キラーと銘打たれていた小林繁が付けていた背番号「19」を継承した。
197cmという長身が特徴で、高校生時代の異名は「なにわのダルビッシュ」。
ルーキーイヤーの2013年の4月には、3勝を挙げ、松坂大輔の持つ高卒選手のプロ初月間勝利数2勝を更新した。
人物
身長は小学校卒業時にはすでに180cm、中学校卒業時で194cmあったという。
阪神の球団寮「虎風荘」に入寮した際、すでに置いてあったベッドでは小さ過ぎたため、彼の身長に合ったベッドを新調した。
日曜日の登板が多い。
ヒーローインタビューの際に必ずと言っていいほど「必死のパッチ」を口にする。この「必死のパッチ」の元ネタは元阪神捕手矢野燿大であり、矢野自身は関西ローカルのスポーツニュースで藤浪の話題の際に「俺の”必死のパッチ”をパクリやがった」と話している。