この言葉は東アジアでの用法と、ヨーロッパでのPrince・Dukeの訳語としての用法があり、意味が異なる。事情は爵位の項目に詳しい。
東アジアでの公爵
公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五つの爵位(五爵)の第1位にあたる。
日本の明治時代には旧摂関家・徳川家・維新の勲功者にこの地位が与えられている。
ヨーロッパでの公爵
ヨーロッパにおけるPrinceおよびDukeの訳語に「公爵」が当てられている。上述の日本の位階の「公爵」はDukeに当てるのが通例であった。
Prince
Princeという言葉はもともと国家元首、主権領主を指し、王(king)を包含する言葉であった。後々Princeの中でも強い勢力だけがKingを名乗り他のprinceやdukeに臣従を要求するようになっていくが、一定期間まではKingとPrinceは対等であった。その分かりやすい例がウェールズ公国(Principality of Wales)である。ウェールズ公国は現在でもイングランドやスコットランドと対等の「国」(country)扱いとなっているが、ウェールズ公(Prince of Wales)は実質的にイギリス王子の名誉称号と化し、ひいてはプリンス・プリンセスという言葉自体が王子・王女を指す言葉となっている。
現在までPrince称号を残す主権国家としてモナコ公国、アンドラ公国がある。
Duke
Dukeという言葉はローマ軍の地方司令官Duxに由来し、皇帝や国王に支配権を認められたうえで領主化した君主を指すようになった。この地位は当初から主君に臣従する前提で与えられた地位であり、主権の度合いについては時代差が大きい。いずれにしても、中央集権化が進むと徐々に名誉称号となった。
Dukeの領地(Duchy)は現在の西ヨーロッパでは「州」程度の大きさであった。代表的なduchyはババリア公国(現在のバイエルン州)、ミラノ公国(現在のロンバルディア州)、アキテーヌ公国(現在のアキテーヌ地域圏)、コーンウォール公国(現在のコーンウォール州)などである。この領域の大きさは日本で言えば、加賀前田家や薩摩島津家など国持大名と同レベルであり、明治には倒幕派であった元国持大名にdukeの爵位を付けている。
現在のヨーロッパではルクセンブルク(大)公国、が主権国家として残っている。