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概要編集

出自編集

天保14年(1843年)に生まれたとされる。

萩城下の油屋『木屋』の娘。水戸浪士の娘とも言われているが、詳しい家柄等は不詳。(漫画家の会田薫氏の作品『梅鴬繚乱』では、油屋の娘説を採用したような描写がある)

出自がどうあれ、11歳ごろに下関の妓楼『堺屋』に売られ、芸妓となって生きていくことになる。


高杉晋作との出会い編集

高杉晋作の愛人として有名なおうのだが、晋作と出会ったのは文久3年(1863年)頃と言われている。晋作は24歳。おうのはちょうど20歳であった。

当時晋作は、身分に因らない志願兵による『奇兵隊』を結成していた。奇兵隊は、身分に因らないと言えば聞こえはいいが、内情はかなりごたごたしていたとされる。隊士の中には、出自の低さ故に無作法を働いてしまう者もいて、それらまとめるのに苦心。加えて、奇兵隊そのものを快く思わない藩の正規部隊『撰鋒隊』の反感を買い、初代総督である晋作は常に板ばさみの状態だった。

そんな両者は、『教法寺事件』で正面衝突をすることになる。この事件では、奇兵隊・撰鋒隊共に死人が出て、『そもそもの原因は奇兵隊側の隊士にある』と判断された。そのため、晋作は責任を取るために総督の役を降ろされることになる。(この時点で奇兵隊が結成されて、わずか三ヶ月しか経っていない)


四国へ逃亡編集

出会って二年後の、元治2年(1865年)に、おうのは晋作と四国に逃亡する。

と言ってもかけおちではなく、晋作が下関開港を推し進めたことにより、攘夷・俗論両派に命を狙われたための亡命である。日柳燕石という博徒の親分を頼り、数ヶ月世話になった。

燕石は晋作の師である吉田松陰とも交流があり、勤王の志が非常に厚く、天下の志士と交わり国事のために私財を投げ出して尽力した。晋作を匿った件では嫌疑を受け、晋作の身代わりに入牢させられている。


長州での生活と晋作の死編集

晋作が木戸孝允の斡旋によって帰郷することになると、おうのもそれに同行。

下関で晋作と同居をするが、慶応2年(1866年)頃、正妻の『高杉雅子』が晋作を訪ねてきて、正妻と愛人がはちあわせたという。

四国に亡命するより少し前、晋作は高杉家を廃嫡していた。帰郷してしばらく経った後、晋作は藩命により『谷潜蔵』と改名する。慶応3年(1867年)には新知100石が与えられ、晋作は谷家を創設した。

しかし、晋作の命はすでに尽きようとしていた。生来病弱で、深酒をしがちな晋作。そんな彼を蝕んでいたのは、不治の病である労咳だった。おうのは晋作の看病をしていたようだが、愛人という立場であったため、晋作の臨終には立ち会うことができなかったという。


晋作の死後編集

晋作が亡くなると、おうのは出家。

晋作が後に名乗った谷の姓をもらい、『谷梅処』と改めた。東行庵という寺で晋作の菩提を弔う生活を選び、1909年(明治42年)頃に亡くなったという。(会田薫氏の『疼く春』では、元芸妓で三味線が得意という設定から地元の子供たちに三味線を教えているという描写がある)


逸話編集


・おうのはどこかぼんやりとしているというか、自我がないほどおっとりした女性だったと伝わっている。どれほどのものかというと、『右を向け』と言われたら、いつまでも右を向いているくらいだったという。


・晋作も上記の性格を案じていたのか、おうのの元を離れなくてはならない際、『人に騙されないようにしろよ』とわざわざ手紙に書いておいた。


・晋作の正妻である雅子より、若干年上。下関でおうのと雅子が対面した際のことを、晋作は木戸孝允に、『おうのも雅子もお互いの存在にびっくりしてるし、傷ついてる。俺は両手に花状態だけど、ふたりはどっちが先に咲き落ちるか競ってる。マジでどうしようもない』という旨の手紙を送った。


・晋作は正妻の雅子に反物を買い与えたというが、おうのにも似たようなことをしている。

おうのに買い与えたのは、英国製のカバン。ビロード生地に花模様、総革張りの裏地と真鍮に銀メッキの金口をあしらったもので、学芸員曰く『保存状態が万全ではないため、カバンを開けることは不可能』とのこと。このカバンは、『下関市東行記念館』に保存されている模様。


・晋作の死後、伊藤博文(資料によっては、山県有朋・井上馨・木戸孝允の名前も挙げられる)が、『高杉の死後、他の男と浮名を流されては困る』と言い、おうのに出家を強要したという話が残っている。しかし、彼らの名誉のために言っておくとすれば、これは噂に尾ひれがついたものらしい。おうのの出家は、晋作がおうのの将来を案じていたための遺言で、それを信じるとすれば、おうのはそれに従ったに過ぎない。晋作の遺言に従ったであろうおうのは、東行庵の開基として谷梅処の名前を残している。


関連イラスト編集


高杉うの晋作とおうの


幕末ROCK』という作品では、おうのと同名のキャラクターが登場する。

暗黒桜桃隊(ダークチェリーズ)というユニット名で、『お龍』『幾松』とアイドル活動をしている。妹系どじっ子属性の可愛らしいキャラクターだが、汚い手段を使うことに躊躇はない。

【幕末Rock】しんでぃはぴば+晋うのまんが暗黒桜桃組





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歴史  日本史 江戸時代 幕末 高杉晋作 木戸孝允 伊藤博文 山県有朋  井上馨


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