概要
「また天膳殿が死んでおられるぞ」とは、山田風太郎原作「甲賀忍法帖」のコミカライズ「バジリスク~甲賀忍法帖~」が、アニメ化された際に生まれた迷言である。
ウマ娘プリティーダービーにおけるネタタグ「またデジタル殿が死んでおられるぞ」などをはじめとした「また〇〇殿が死んでおられるぞ」の元ネタ。
なお、原作アニメにおける正確なセリフは「天膳殿がまた死んでおるぞ」である。
経緯
ここでいう「天膳殿」とは、作中に登場する忍者の一人「薬師寺天膳」のことである。
伊賀と甲賀、ふたつの忍者集団が血みどろの殺し合いをする本作において、天膳殿は伊賀の実質的なボス、また本作のラスボスとも言える存在である。
本作の忍者は、基本的には生身の人間であるが、生物のもつ能力を超拡大した特殊能力をそれぞれに有している。
そして天膳殿の場合はそれが、なんと「如何なる傷を受けても再生する、不死の肉体」である。
本作の戦いは「お互い強烈な初見殺しの能力者同士で、いかに相手を先に葬るか」を基本としているのだが、天膳殿だけはその能力ゆえに「一度やられてから、相手の能力に対策を立てて倒す」という反則技が可能。
まさに、ラスボスに相応しい圧倒的な能力である……
と言いたいところなのだが、その「やられ方」に、読者は首をひねる事になる。
「相手が身動きができないので調子に乗っていたら、隠し武器で殺される」
「ヒロインを手籠めにしようと夢中になって、後ろから忍び寄った敵に気づかず首を折られる」
「相手が目が見えないと思って煽り倒したら、それは特殊能力の伏線だったので死亡」
「捕まえた敵の女を手籠にしていたら、相手は吐息に毒を含ませられる能力者だったので毒殺」
等々、基本的に「油断し過ぎ」で死ぬのである。
死なない事で敵の初見殺しを破る、といえば格好は良いが、その実態は「能力にあぐらをかいてアッサリ初見殺しされてしまうが、死なないので結果的に逆襲できる」という、よく考えるとかなり情けないモノとなっている。
ちなみに天膳殿の「不死」はあくまで「怪我の治りが超速度」「普通は治らない怪我も治る」というだけであり、傷口がある程度接合している必要がある、欠損した部位を失わないで原形を残している必要があるなど、実は有効な死に方が限定される。
灰からも蘇れたり、手足の切断面から新しいものを生やしたりできるわけではない。
そのため、極端な事を言えば殺害の証拠に首を持っていかれるだけでも復活不能になってしまう。
ましてどんな隠し技があるかわからない忍者同士の勝負において「相手の技をとりあえず食らう」というスタイルは本来かなり危険なはずなのだが、そこを気にしている様子は無い。
あまつさえ、本来なら「秘中の秘」でなければマズそうなこの術は、味方とはいえ伊賀側の忍者にはごく当然の出来事と認識されてるらしく、物語冒頭において伊賀忍者のひとり夜叉丸は伊賀の里に帰る道中に、甲賀忍者の如月左衛門が天膳の声帯模写で話しかけた際、声だけで姿を見せないという不審点を、あっさりと「また死んでおられる」ためだと納得してしまい、うかうかと如月左衛門に重要情報を漏らしてしまっている。
夜叉丸の未熟さでもあるが、天膳殿が普段から気軽に(?)死んでおられなければ起きなかったミスだともいえる。
そんなこんなで「実はこの人、かなりウカツなのでは……?」と読者が思い始める最終盤。
天膳殿はとにかく死なないので無事に生き残り、ついに主人公との最終決戦を迎えることになる。
今までの戦いで受けた術により盲目となっている主人公に、嘲りながら切りかかる天膳殿だったが、けっきょくその侮りが災いし、目が見えない相手に正面からのチャンバラで負けて、首をはねられてしまう。
油断と慢心の男、薬師寺天膳の総決算とも言えるシーンである。
そして、この冒頭のセリフに繋がる。
主人公と天膳殿の決着がついたあと、遅ればせながら勝負の現場にかけつけてきた、忍法勝負の見届け役である徳川の侍たち。
その中の一人が、絞り出すような声で発した言葉こそが
「天膳殿が!また死んでおるぞ!」
であった。
実はこのセリフ、漫画版だと少し異なり「天膳殿が死んでおるぞ」と、「また」がついていなかった。
しかしアニメスタッフが「また」を追加し、更に声がついたことで破壊力が増加。
それが、毎度こりずにしょうもない死に様をさらす彼を見続けてきた視聴者の心に深く突き刺さった。
ああ。天膳殿、また死んでるなぁ。
と。
そして、このセリフは本作を代表するネタセリフとして広く認知されていくことになる。
死に際についての余談
- 主人公との決着
天膳殿が「また死ぬ」きっかけとなった「盲目になった主人公と天膳殿のチャンバラ」、実は原作および漫画版と、アニメ版とで展開が異なる。
原作小説(および漫画版)では、天膳殿は調子に乗って斬りかかったところ「床板が痛んでいるのに気づかずに踏み抜き、主人公の目の前で態勢を崩す」という、極めつけの大ポカをやらかしてアッサリと負けてしまう。
流石にこれはあんまりだと思ったのかアニメでは展開が大きく改変され、原作で踏み抜いた床板を悠々とのりこえ、主人公と息をのむ迫力の大立ち回りを演じてくれる。
のだが。
これはこれで、よく考えると
「剣の腕が、つい数日前に盲目になったばかりの男とだいたい互角、あげく普通に負ける」
という、やはり何処か首をかしげる展開になってしまっている。
「天膳殿と戦う時は、主人公が盲目状態のまま」は話の根幹に関わる部分であり改変しようがないため、どうしようもなかったのだろうが……
- 本当の死に様
このように首を刎ねられてしまった天膳殿だが、もちろんこの時点では完全に死んでいない。
徳川の侍たちが慌てて首をくっつけ、再び立ち上がらんとするのだが……
ここで同じ伊賀忍者であるヒロインが、敵だが愛しい恋人である主人公と、一応は味方だが(前記した暴行未遂などで)信頼も好感度ドン底の天膳殿を前に、当たり前だが主人公に肩入れ。
天膳殿への致命的なメタとなる己が秘術を発動し、不死を封じてしまう。
かくして天膳殿は、今度こそ本当に死んでしまう事となるのである。
派生ネタとして
上記の通り、元々のセリフでは「天膳殿がまた死んでおるぞ」という言い回しだったが、ネタセリフとして広まる際、恐らくは「~殿」という敬称のイメージからと思われるが、「おられるぞ」と敬語表現に変化した。
更に「また」の位置は、本記事のように頭につけるケースと、元ネタ通りの位置とが併存していたが、数の多かった「頭につける方」が、ニコ動大百科記事などになって認知度が上がったことにより、ほぼそちらのパターンで固定された。
用法は、概ね三通りに分かれる。
ひとつは原典に準じて、死亡するがすぐ生き返るキャラ、それも「死んで生き返ることが一つのテンプレネタと化してるキャラ」に使われるケース。
二つ目は、死んだらそれっきりのキャラではあるが、死亡シーンがネタ性が高い、またはコラネタなどで有名になり、結果「死亡シーンだけ、ネタとしてしょっちゅう見る」場合に、合いの手として使われるようなケース。
そして最後の一つが、恐らくPixivにおいてもっとも用法の多い「尊死」しているキャラ、または、そのキャラが尊死しそうな絵に対してつけられるケース。
2022現在、恐らくもっとも有名な用法であるウマ娘プリティーダービーのまたデジタル殿が死んでおられるぞなどがこれにあたる。
別名・表記ゆれ
上記の通り、派生タグ含めて2022現在は「また〇〇殿が死んでおられるぞ」が大半。
関連タグ
ケニー・マコーミック しょっちゅう死んでいるという共通点がある
ランサーが死んだ! 上記「ケニー」を元ネタとしたパロディ。