エラガバルは古代シリアの都市エメサ(現在のホムス)の神で、その名は「山の神」(エル=神、ガバル=山)を意味する。神体は円錐形の黒色の聖石(隕石)だったとされる。
ラテン語表記に従ってエラガバルスやヘリオガバルスと表記されることもある。また「ソル・インウィクトゥス」(不敗の太陽,Sol Invictus)の名でも崇拝されたが、この呼称はミトラスなど他の神に対しても用いられている。
エメサはローマ帝国が東方に拡大する中でローマの覇権を認めてその支配下に入り、祭司一族バッシアヌス家が代々王を務めた。またバッシアヌス家はローマ市民権も得ていた。
この祭司一族のユリア・ドムナがセプティミウス・セウェルスと結婚し、のちにセウェルスがローマ皇帝となったことからバッシアヌス家はセウェルス朝の外戚としてローマの中央政治に登場することになる。そしてバッシアヌス家が司るエラガバルもまた、ローマ史の文脈に登場する。
紀元3世紀にバッシアヌス家のヘリオガバルスが皇帝に即位する。ヘリオガバルスはエラガバルの神体である黒石をローマへと持ち込み、パラティヌス丘に神殿を建てた。
ヘリオガバルスはその統治をローマでのエラガバル信仰の為に費やした。ローマの最高神であったユピテルをエラガバルへと置き換えようと試み、その信仰をローマ人に求めた。
しかしヘリオガバルスの統治は宗教政策やヘリオガバルス個人の資質から見限られ、処刑によって終えた。同じバッシアヌス家のアレクサンデル・セウェルスが新皇帝に即位したが、ヘリオガバルスのエラガバル偏重を引き継ぐことはなかった。持ち込まれた黒石はエメサへと返され、エラガバルは従前の帝国の一部で信仰されていた太陽神へと立場を戻した。
ただ、首都ローマでのエラガバルへの特別な配慮は消え去ったものの、のちに皇帝アウレリアヌスがエメサでその神殿を訪れるなど信仰自体が完全に潰えたというわけではないようである。