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オノ・ヨーコ

おのよーこ

日本の前衛芸術家、音楽家、平和運動活動家。1969年にジョン・レノンと結婚した。

概要編集

1933年〈昭和8年〉2月18日生まれ。


サラ・ローレンス大学在学中の1956年に一柳慧と出会い、同大学を退学し結婚、前衛芸術活動を開始する。


1959年、ニューヨークを活動拠点とするフルクサスのジョージ・マチューナスらと共に活動を行う。


1962年から1964年まで帰国、当時の日本は、前衛芸術というものに慣れておらず、評価は低く、評論家にも批判される。


1962年、29歳で自殺を図り精神病院に入れられる。ヨーコに憧れニューヨークから来日したアンソニー・コックスが 、ヨーコを口説き落とし退院させた。11月28日に結婚しようとするが、一柳との離婚が法的に成立しておらず、1963年3月1日に結婚は「無効」とされてしまう。同年の6月6日に再度結婚をする。1963年8月8日、娘キョーコをもうける。


1964年、ニューヨークに戻り、活動を再開する。1966年に活動の場をロンドンに移した。その時期にジョン・レノンと関係を持ちはじめる。コックスとは1969年2月2日に離婚した。


1969年3月20日、ジブラルタルで結婚。米国では「ミドルネーム方式」を選ぶことも可能で、本名はヨーコ・オノ・レノンとなり、ジョンはジョン・ウィンストン・オノ・レノンとなった。


1970年代「ビートルズを解散させた女」として非難された。結婚前後の2人の活動は、奇妙な立ち居振る舞いと映り、数多くの非難と中傷がヨーコに対して浴びせられた。(ヨーコとジョンは実際、奇妙な曲出したり、よくわからない前衛芸術みたいなのを共同で出していたりする。)


その後ヨーコは、前衛芸術家、反戦運動家、黒人解放運動家、女性解放運動家などと交流を深め、政治運動に傾斜していった。


1975年10月9日、レノンの35歳の誕生日にショーン・タロー・オノ・レノンが誕生した。ヨーコにとっては42歳での出産となった。


1980年12月8日、ジョン・レノン射殺事件によってジョン・レノンが死去。


2001年、回顧展『イエス、ヨーコ・オノ』は、アメリカ美術批評家国際協会の最優秀美術館展賞を受賞。

2001年、リヴァプール大学より名誉法学博士号を授与された。

2002年、バード・カレッジより名誉美術学博士号を授与された。


2005年、ニューヨーク日本協会から特別功労賞を授与された。

2009年6月、第53回ヴェネツィア・ビエンナーレで、生涯業績部門の金獅子賞を受賞した。


先祖は戦国時代は豊後国の大友家に仕え江戸時代は柳川藩(立花家)の重臣。女系では大友宗麟の子孫にも当たる。

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