他の「~がかわいすぎて生きていくのが辛い」と同様に、水橋パルスィが容姿のみならず性格などにおいてあまりにもかわいく描かれている際に使用される定型句である。
パルスィは基本的にツンデレないしヤンデレ気味に描かれることが多いため、(容姿はともかく)かわいらしく描かれることは非常にまれである。だがそれゆえに、そのまれに描かれるかわいらしさは際立ったものになるともいえる。発露される強烈な感情の裏に、あるいは最初の猛烈な感情の波の後に、それとは異なるパルスィのかわいらしい一面が覗くのである。このギャップはパルスィならではのものでもあり、二次創作では様々な形で性格的ギャップを通した「かわいいパルスィ」が想像され続けている。
作中においても稗田阿求はパルスィが明るく振る舞うもその内心や裏では着実にパルスィの嫉妬心の糧が生み出され続けているという二面性を指摘している(『東方求聞口授』)が、ファンの間ではそれもまた表裏のギャップ、種々のデレへ至るための基盤、あるいはそういった自身の二面性をパルスィ自身が自嘲的にとらえるという創作ではその内心の悩みの姿さえも愛おしむようなそれぞれの「かわいい」が見出されている。
古明地さとりはパルスィの内面について「本当は優しい子」ともしており(『東方外來韋編』)、パルスィの本質は表面に現れている言葉や態度だけでは推しはかることができないものである様子も語られている。
もちろんギャップという観点によらない様々なパルスィの「かわいい」もまた本タグの範疇であり、パルスィに関連する二次創作全体の醸成とともにそのあり方も広がり深まり続けている。
本タグの示すようなパルスィを求める声は深く、今日も止むことがない。