父ちゃんの為ならエンヤコラ
母ちゃんの為ならエンヤコラ
もひとつおまけにエンヤコラ
『ヨイトマケの唄』が生まれた背景
興行師の手違いで、たまたま福岡県の炭鉱の街の劇場で公演を行ったことがきっかけとなっている。
当時の丸山明宏(現:美輪明宏)は華やかな衣装でシャンソンを歌っていたこともあり、この時はあまり乗り気ではなかったが、公演に炭鉱作業員達が安い賃金をはたいてチケットを購入して観に来ている事に衝撃を受け、「これだけ私の歌が聴きたいと集まってくれているのに、私にはこの人たちに歌える歌がない」と考え、これまで自分のレパートリーに無かった「労働者の為の唄」を歌いたい、ということで作られた。
ヨイトマケとは、まだ重機が多くなかった頃の地ならしの道具として滑車に吊るした大きな槌をロープで大人数で引き、そして地面に叩きつける作業の「ヨイっと巻け」の掛け声から来ている。
また、日雇い労働者達が集まって行う作業であった為、日雇い労働者を揶揄する言葉でもあった。
ちなみに冒頭の「父ちゃんの為ならエンヤコラ」「母ちゃんの為ならエンヤコラ」「もひとつおまけにエンヤコラ」は元々存在する作業歌である。
「父ちゃんの為ならエーンヤコーラ」「母ちゃんの為ならエーンヤコーラ」のそれぞれの掛け声の後にドラムの音がするのは引き上げた槌を地面に落とした音を再現していると思われる。
歌詞は幼少期の友人の母(家族のために懸命に働き、亡くなっている)や、歌手となった後に出会った、貧しさ故に苦労した人達の話が元となっている。
また、「無償の愛」を込めたものとして作曲したと語られている。
ストーリー
街では今日もどこかで工事が行われ、昼になると作業員達は昼休みで一息入れタバコをふかしたりしていた。その光景を目にしていた一人の人物がいた…
ある所に日雇い労働者の母親の子供がおり、『ヨイトマケの子供』『汚い土方の子供』といじめられていた。
子供は母親に慰めてもらおうと泣きながら仕事場に向かうが、自分を育てるため必死に男達に混じって土木工事に携わっていた姿を見て、頑張って勉強して強く生きていく事を決め、高校・大学を経て今では機械のエンジニアに成長した。
そう、工事現場の昼休みを見ていたのはこの青年だったのである。
何度もグレかけたけれど決して人としての道を踏み外さず(※)、こうして真っ当に胸を張って人生を生きている、と工事現場の光景と重なった苦労して育ててくれた今は亡き母と、子守唄代わりに歌ってくれた『ヨイトマケの唄』を思い出し「この立派に育った姿を見てくれているか!」と空を仰ぎ想いを馳せる姿があった。
※…この部分は「やくざな道を踏まずに済んだ」の箇所であり、歌唱の際にじっと右手を見る仕草をするのだが、これはいわゆるヤクザ社会におけるケジメ=エンコ詰めの暗喩であり、手の指がちゃんと五本ある事で社会から溢れる事なく真っ当な道を歩いてきた意味だとされている。
テレビ番組での放送
かつては歌詞に差別用語として扱われている「土方」「ヨイトマケ」の言葉が含まれている為、民放連の「要注意歌謡曲指定制度」に基づき、民放テレビ局ではほとんど歌われることがなかった。また、制度が廃止状態となったあとも局によって止められることがあり、長年NHK以外ではカバーを含め放送されてこなかった。
2000年ごろから桑田佳祐のカバーをきっかけに、他の歌手によるカバーが民放で放送されるようになり、若年層やファン以外にも知られるようになる。
また、2006年には親交のあるビートたけしの「たけしの誰でもピカソ」(テレビ東京)にて美輪本人による歌唱が放送され、以降は民放でもオリジナルバージョンが放送されることが増えた。
紅白での歌唱
デビュー60周年を記念して初登場となった2012年の紅白歌合戦では、ほぼフルコーラスで披露されている。
いつもの華美な衣装を封印し、黒髪に黒衣の青年の出で立ちで、黒の背景にスポットライトのみ、という演出は大きな話題を呼んだ。さらに『歌』というよりはもはや一人芝居とも云うべきその歌唱力、表現力は、多くの視聴者に感動を与えることとなった。
2015年の紅白歌合戦にも出場。(なお、史上最高齢での出場となる)この時には黒髪に白いシャツの青年姿で登場し、三年前同様視聴者を圧倒するパフォーマンスを行った。
また、2018年8月18日放送のNHK「思い出のメロディー」では故郷・長崎市で長崎原爆の悲劇がもたらした現場の一つであった浦上天主堂にて熱唱した。
ここではかつて自身が身を寄せた防空壕跡や被爆当時の10歳頃の回想を語り、さらに原爆で亡くなった犠牲者の中に、自分の子供を守るべく覆いかぶさって死んでいたというある母親の話から「無償の愛」「戦争がもたらす悲劇」を歌と共に説いた。
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