ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

所属事務所は吉本興業。1970年結成。島田洋介(島田洋之介)・今喜多代の弟子にあたる。

デビューから長らく売れない時期が続いていたが、1980年に『花王名人劇場』に出演したことを機にブレイクを果たす。

2人は京都明徳高校の同級生(ともにソフトボール部所属)であり、プライベートでも大変仲が良かった。

お互いをネタにし合う毒舌のしゃべくり漫才だが、あくまで他の人を攻撃することはない芸風である。


後輩の面倒見がよく、過去には中川家レギュラー、ジェットコースター(解散)、ミサイルマンらを食事に誘ったり、ラジオに定期的に出演させたりした。

いくよの死去でコンビとの活動は終了したが、モノマネが得意な中川家と組んで「今くるよ・中川家」「今いくよ・くるよ・くるよ」などの名前で舞台に上がることがあった(剛がいくよ、礼二が「2人目のくるよ」となる)。

剛がいくよの格好をした時は「いくよちゃんやないの!」と驚きと喜びの顔を見せていた。


いくよが亡くなった9年後にはくるよも亡くなり、これによって両者共に鬼籍に入った。


メンバー編集

  • 今 いくよ(いま いくよ、1947年12月3日 - 2015年5月28日)

本名、里谷 正子(さとや まさこ)。京都府京都市出身。

ボケ担当。


かなりの痩せ型で、長すぎるまつ毛や真っ青なアイシャドウ等、かなりド派手(ケバいとも言う)な厚化粧が特徴。

派手なドレス姿のくるよに対し、比較的シンプルなデザインのジャケットやワンピースを着ていることが多かったが、色や柄などはやはり派手めであった。


胃がんの治療に専念するため、2014年9月から休養に入る。同年12月に復帰したが、翌年の5月になって容体が急激に悪化し、5月28日に大阪市内の病院で逝去。67歳没。生涯独身であった。


  • 今 くるよ(いま くるよ、1947年6月17日 - 2024年5月27日)

本名は酒井 スエ子(さかい スエこ)。京都府京都市出身。

ツッコミ担当。いくよと正反対のぽっちゃり体型が特徴であったが、いくよが亡くなってからは年々痩せてきている。

結成初期は普通のワンピースなどを着ていたが、のちに花飾りやフリルがたくさんついた独特のドレスを舞台衣裳として着るようになり、これをいくよにネタにされることも多かった。衣装には専属のデザイナーがおり、すべて手作りである。一度来た衣装は二度と着ない主義だったこともあって、衣装の数は500着以上に及ぶ。たまにずり落ちてくることがあり、これを直す仕草もネタにしている。

お腹をポンと叩いたり、張り手のように手を前に突き出して「どやさ!」といったりするギャグが有名であった。


いくよの死去後はピン芸人として活動していたが、晩年は体調を崩し休養する事が増えた。2022年4月に吉本興業の創業110周年記念特別公演「伝説の一日」に出演した際も、車椅子に座って登場した。

しかし、2024年5月27日、膵がんのため大阪市内の病院で逝去。76歳没。こちらも生涯独身であった。奇しくも、いくよが亡くなった日の1日違いで亡くなったという。



受賞歴編集

1981年 上方お笑い大賞 金賞

1982年 花王名人大賞 最優秀新人賞

1982年 上方漫才大賞 奨励賞

1984年 上方漫才大賞 大賞

1984年 咲くやこの花賞 大衆芸能部門 漫才

1986年 上方お笑い大賞 大賞

1987年 花王名人大賞 名人賞

1988年 花王名人大賞 大賞


余談編集

レベルファイブのゲーム、『妖怪ウォッチ2』に彼女らをモチーフにした『いくよね&くるよね』というボス妖怪が登場する。


外部リンク編集

Wikipedia

関連記事

親記事

吉本興業 よしもとこうぎょう

子記事

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 1002

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました