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艦艇情報編集

艦名(1つ目)第七十四潜水艦(1921年4月25日~1924年10月31日)
艦名(2つ目)伊号第一潜水艦(1924年11月1日~)
艦級・何番艦巡潜1型1番艦
軍備・戦備計画大正10年度軍備補充費 → 大正12年度艦艇補充計画
建造所神戸川崎造船所
起工1923年3月12日
進水1924年10月15日
竣工1926年3月10日
解体・戦没・処分等1943年1月29日
除籍1943年4月1日

所属編集

年月日所属
1926年8月1日第二艦隊 第7潜水隊
1927年7月1日横須賀防備隊隷下 第7潜水隊
1927年9月15日無所属
1928年9月10日第二艦隊 第7潜水隊
1928年12月1日第二艦隊第2潜水戦隊隷下 第7潜水隊
1930年12月1日第一艦隊第1潜水戦隊隷下 第7潜水隊
1932年10月1日横須賀防備隊隷下 第7潜水隊
1933年11月15日第一艦隊第1潜水戦隊隷下 第7潜水隊
1934年11月15日横須賀鎮守府隷下 第7潜水隊
1936年12月1日第一艦隊第1潜水戦隊隷下 第七潜水隊
1940年11月15日第六艦隊第2潜水戦隊 第七潜水隊
1943年4月1日除籍

概要編集

本艦は、大正10年度軍備補充費で計画されたが、ワシントン海軍軍縮条約の影響で大正12年度艦艇補充計画での計画に変更されて建造された。

当初艦名は第七十四潜水艦としていたが、1924年に潜水艦の呼称が排水量関係なしの通し番号から排水量別の通し番号に改定されたため、艦名を伊号第一潜水艦に変更している。

1926年3月10日本艦は竣工し、横須賀鎮守府に本籍を置いた。

潜水隊は第7潜水隊に所属し、一時的第7潜水隊から外されることはあったが、他の潜水隊に所属することはなかった。

1943年1月29日、半浮上の際、ニュージーランド掃海艇のモアとキーウィから攻撃を受け、艦首を水上で出した状況で沈没する。 なお沈没前に総員退艦したので66名が生存できた。

撃沈総数は1隻で、撃破総数は1隻であった。

1943年4月1日に除籍され、本艦の艦名は、巡潜甲型改二潜水艦4番艦伊号第一潜水艦(2代目)に引き継がれたが、未成で終戦を迎えた。

暗号流出編集

本艦の戦没は大きな問題に発展してしまった。暗号表が一部艦内に残されたままだったのだ

1943年1月30日、生存者66人のうち2名が暗号表捜索のために残り、64名はガダルカナル島に上陸した。同日、ニュージーランド掃海艇のモアは2名の暗号表を捜索した乗務員を発見し、機銃掃射が行い、1名を射殺し、もう1名は捕虜とした。

日本軍は暗号表の件を聞き、1943年2月10日に大発で本艦に近づき爆雷で爆破、1943年2月10日に航空機による爆撃を行うが、どちらも失敗した。

1943年2月11日、アメリカ軍による調査で暗号表が発見されてしまう。

同日から15日までの数日、僚艦である|伊号第二潜水艦が雷撃処分のために現場に到着して捜索するも発見できず、アメリカ軍の魚雷艇の攻撃を受けたため帰投した。

再発見編集

1972年、オーストラリアのトレジャーハンターに発見された。艦首部分はその後浮揚したのちに解体されたが、残りの部分は二分割の状況で現在も沈んでいる。

(資料によっては、1978年にニューギニア航行のパイロットが本艦を発見し、後の調査で本艦と判明したとするものがある)。

関連タグ編集

潜水艦

日本軍日本海軍大日本帝国海軍) 第二次世界大戦

巡潜1型潜水艦

1番艦伊号第一潜水艦(初代) 2番艦伊号第二潜水艦 3番艦伊号第三潜水艦

4番艦伊号第四潜水艦 5番艦伊号第五潜水艦

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