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概要編集

醍醐天皇の皇子、母は淑姫(藤原菅根の娘)、官位は一品・中務卿、公家時代は従二位・左大臣

別名は御子左大臣


経歴編集

延喜14年(914年)に誕生、延喜20年(920年)に臣籍降下をして源兼明となる。承平2年(932年)に従四位上、播磨国の国司や近衛中将などを歴任して天慶7年(944年)に参議、天暦7年(953年)に権中納言、康保4年(967年)に権大納言、後の天禄2年(971年)に左大臣となる。貞元2年(977年)に関白藤原兼通によって皇族の身分に戻り親王宣下をする。同年に二品・中務卿となる。後に一品、永延元年(987年)に薨去。


人物編集

詩文や書に優れ本朝文粋・和漢朗詠集に詩文が収録されている。


外部リンク編集

兼明親王 - Wikipedia


関連タグ編集

皇族 平安時代 醍醐天皇 親王 醍醐源氏 左大臣 公卿

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