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1969年9月3日生まれ、愛知県出身。1992年バルセロナオリンピック柔道78キロ級の金メダリスト。


1992年バルセロナオリンピックで柔道78キロ級で金メダル獲得。


2002年総合格闘家としてデビュー、ホイス・グレイシーと特別ルールで対戦、レフリーストップなしの契約であったにもかかわらずレフリーが勝手に止めたため無効試合に。


2002年12月総合ルール2戦目で、佐竹雅昭に一本勝ち。


2003年PRIDEミドル級GPでヴァンダレイ・シウバに判定負けし準決勝敗退。


2003年12月ホイスとの再戦となったが道着を着ていない相手への対策が出来ていなかったため完封される、が判定決着なしというルール上引き分けとなった。


2004年6月K-1王者マーク・ハントの総合デビュー戦の相手に選ばれたが、腕ひしぎ十字で一本勝ち。


2004年12月ルーロン・ガードナーとの、柔道とレスリングのオリンピック金メダリスト同士の対戦となったが、判定負け。


2005年4月PRIDEミドル級GPでヴァンダレイ・シウバとのリベンジマッチだったが、判定負け。


2005年12月柔道時代の経緯から、総合では対戦が実現する事は絶対にないとも噂されていた、小川直也との禁断の因縁対決となったが腕ひしぎ十字で一本勝ち。


2006年PRIDE無差別級GP2回戦でミルコ・クロコップにKO負け。


2006年12月ジェームス・トンプソンとの対戦中に、酸素不足のような状態となりTKO負け。




総合格闘家としてデビューしてからPRIDEが消滅するまでは大晦日興行に毎年出場していた。


2002年総合格闘家のデビュー前は「金のためではないです、それのためなら新日鉄を退社してませんよ。」「吉田道場の師範ですしそっちの経営が悪いわけでもないので、柔道のPR・柔道の普及のためです。」「後は勝負師としてまだ燃え尽きていない、もう少し現役でやってみたいというのもあった」と答えている。


2007年のインタビューでは、当時は5年を目途にやって行こうと考えていたそうなのでPRIDEが消滅したのもあって引退も考えていたらしいが、ランディ・クートゥアーの43歳でのUFCでの活躍に刺激を受け引退を先伸ばしにする主を語っている。

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