関東七名城のひとつ。
別名は栃本城、根古屋城、牛ヶ城とも言われる。
連郭式山城。
伝承によると大百足退治や平将門討伐で有名な藤原秀郷(俵藤太)によって築かれたとされる。
足利荘完成までの5代に渡り居城とした、とされるが信憑性は低い。
尚、唐沢山城主の佐野氏は藤原秀郷を先祖としている。
実際には1491年に築城されたという説が濃厚。
関東地方の城としては珍しい高石垣を備えているのが特徴。
戦国時代には北条、上杉の二大勢力に挟まれ10度にも渡る戦いを繰り広げることとなった。
(うち9度は上杉との戦い)
後に上杉を見限り北条に降るも、秀吉の小田原征伐の際には真っ先に秀吉に味方し北条勢力を一掃した。
関ヶ原の戦いの後佐野藩が成立し、麓に新たに佐野城を建てたことから唐沢山城は廃城となった。
だが、一説によると唐沢山から江戸の街の火事が見えたため慌てて江戸に早馬を出したもののそれが逆に幕府から警戒されることとなり廃城に追い込まれたとも言われている。
(もしくは江戸の街を見渡せるような周辺の山城は機密保持のためすべて廃城となったとも言われる)
2017年には続100名城に認定されている。