大友義右
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おおともよしすけ
大友義右とは大友家第17代目当主で、政親の嫡男。(1459年-1496年)
1459年、大友家第16代目当主・大友政親の嫡男として誕生。幼名は鷹房丸。初名は親豊、後に足利義稙の偏諱を受けて材親に改名し、更に義右と改名している。
1484年に大内家の干渉を受ける事を嫌った父・政親から家督を譲られて大友家第17代目当主として就任。しかしなおも大内家の干渉を続いた為に政親は大内家出身の子である義右を疎ましく感じる様になり、義右は叔父の大内政弘の元へ逐電する事となった。
1487年には父の政親と和解し、再び大内家から大友家に帰還した。
しかし1489年、叔父の日田親胤が謀反を起こす事件が発生。この事件はもう1人の叔父である親治の尽力もあって鎮圧されたが、まもなくして大友一門の大聖院宗心(大友親実)が義右の元にやってきたのだった。
そして宗心は「叔父の親胤殿の謀反は政親殿の差し金である」(意訳)と耳打ち。その結果、義右は激高して再び父と対立。4年後に起こった明応の政変に関しては義右は従弟の大内義興の元、足利義稙を支持した。(この時に名前の偏諱を2度行っている。)
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