概要
経歴
天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱後に臣籍降下をして三長真人山口(みながのまひとやまぐち)と名乗り丹後国に流刑となった、宝亀2年(771年)に赦免され京に戻り皇族の身分に戻った。天応元年(781年)に従五位下、後に従五位上、鍜冶正になり延暦7年(788年)に大監物となる。
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