概要
三原王の子、官位は従三位、参議、舎人親王の孫、臣下時代は岡和気(おかのわけ)と名乗っていた。
経歴
天平勝宝5年(755年)に岡真人の姓を賜われ臣籍降下をする。因幡掾となるが天平宝字3年(759年)に舎人親王に崇道尽敬皇帝の尊号が贈られ皇族に戻った。天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では仲麻呂の計画を孝謙上皇に密告し事件後に従三位、兵部卿に進み同年に淳仁天皇の中宮院を取り囲み廃位を宣告した。天平神護元年(765年)に称徳天皇の皇太子が不在のため謀反計画を立てたが発覚、逃亡するが捕らえられ伊豆国に流されるが配流中に殺害された。