概要
慶長8(1603)年津軽為信が計画し、慶長16(1611)年に息子の津軽信枚よって築かれた城である。
当初は5層の天守閣があったものの、落雷によって天守内部に保管してあった火薬に引火して焼失してしまった。(弘前という名前は邪を払うという意味で鷹岡から改名された)
再建を目指すも武家諸法度があるためにそれもままならなかったが、文化7(1810)年年に蝦夷地警備の功績が認められて、辰己櫓を改築して天守閣が再建された。
明治期には弘前公園として開放され、市民からさかんに桜が寄贈されたのもこの時期である。
現在は史跡に指定され、天守閣以外にも3つの櫓と5つの門が重要文化財に指定されている。
前述のように桜が寄贈されたおかげで、今は日本を代表する桜の名所の1つとなっている。
石垣に「はらみ」と呼ばれる外側の膨らみが見つかったため、修復のため天守閣はしばらくの間70メートルほど離れたところに移動している。