我が子を食らうサトゥルヌス
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わがこをくらうさとぅるぬす
『我が子を食らうサトゥルヌス』は、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤによる絵画作品。
晩年の連作「黒い絵」の代表作で、本作が描かれたのはゴヤが病により聴覚を失った後、77歳の時である。
スペイン語 | Saturno devorando a un hijo |
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作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ |
制作年 | 1819-1823年 |
素材 | キャンバスに油彩 |
寸法 | 146 cm × 83 cm (57½ in × 32½ in) |
所蔵 | プラド美術館(マドリード) |
本作には晩年期に近づいていたゴヤが当時抱いていた不安、憂鬱、退廃、老い、死、など時代に対する思想や死生観、内面的心情が反映されていると考えられているものの、根本部分の解釈は諸説唱えられており、現在も議論が続いている。
また、本作より以前の16世紀にオランダの画家ルーベンスも「我が子を食らうサトゥルヌス」を描いている。
ローマ神話に登場するサトゥルヌス(ギリシア神話のクロノスに相当)が
我が子のひとりによって王座から追放されるとの予言に恐れを抱き、5人の子(娘3人と息子2人)を次々に呑み込んでいったという伝承がモチーフである。
その後、サトゥルヌスの妻であるレアは次に産まれる子供は守りたいと考え、布に包んだ石を身代わりに呑ませた。こうして無事に育ったのがゼウス(ジュピター)であり、最終的には5人の子はゼウスの策で吐き出される事で無事だったという結末なのだが……。
この絵に描かれたサトゥルヌスは自己の破滅に対する恐怖から狂気に取り憑かれ、伝承のように丸呑みするのではなく自分の子を頭からかじり、食い殺す様子がリアリティを持って描かれている。
名画オマージュの一種として描かれることが多い。
そのオリジナルの凶悪性から、時としてR-18Gタグが併載されることがある。
当時すでに著作権切れだったが、1970年代の妖怪紹介の児童書にポルトガルの食人鬼ゴールとして紹介されていた過去が有ったりする。
コメント
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前作が思ったより反響が大きくてビビってました。コメントいっぱいくれてありがとうございます! みなさんがつけてくれるタグとコメントをムシャァ・・・して食べながら頑張ってます。 作者が無い語彙力と表現力をひり出して頭痛に苛まれながら書いてる凪沙ちゃんを面白いと言ってくださる方々がいらっしゃるので作者は血尿垂れ流しながら頑張る所存です。 書きたいところがいっぱいあるんじゃ・・・! 本編読んだ後よんでね ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 本編で書ききれなかったところ メモ的な感覚で書いてます。支離滅裂。 ・武道へのナマハゲのお土産は魔除けとして。 凪沙なりに武道の雰囲気が変わったこと、なにか人に言えない秘密あるんだと察している。 獣並の直感。 でも武道は何も言ってこないので武道から何か相談されるまでずっと見守ってる。 怪我の頻度もなんか増えたし面倒事に巻き込まれてる?と思ったのでお守りの意味も込めて制作した。 ナマハゲの顎ら辺に小さく「みっちゃんがいつまでも元気でいれますように」と手彫りで書いた。 武道は10年くらいしたらそれに気付くんじゃないかな。 ・凪沙にとって武道がすべて。 善も悪も凪沙の行動と判断は「武道ならどうするか」で決まる。 カップル助けたのも「武道だったらどうするのかな、助けるのかな」と考えたから。 武道が人が襲われてて助けないような人間だったら凪沙はそれにならって助けなかった。 見て見ぬふりしてその場から離れてた。 「武道だったら助けるよな」と判断して助けただけ。 武道のマネをした。 武道に褒められたくて。 だって武道は『ヒーロー』だから。 これは全部凪沙の無意識の行動。 凪沙の武道への一種の依存とも言える。 凪沙本人はまったく自覚してないし武道も誰も気付いてない。 ・凪沙の警戒心 凪沙は人間に対して警戒心がない。 幼い頃から狩猟で、弱肉強食の世界で言葉も何も通じない野生動物と何度も対面して命の危機に何度も瀕してきたから。 だから自分より大柄な不良が何人いてもそこに突っ込んでいくし、例え相手が凶器や武器を持っていたとしてもその事に恐怖を感じることもない。 凪沙は人間に対して警戒心がない。 凪沙には本人も自覚してない『スイッチ』がある。スイッチが入った凪沙は人間を人間として『見ていない』。 目の前にいるのは動物。 獣。 獲物。 動く血袋。 肉袋。 凪沙の目には愛美愛主の不良は人間として見えていなかった。 凪沙が不良を鳥といえば本当に鳥に見えているし、虫に見えていれば虫に見えている。 不良が猿に見えた、と凪沙が言うなら、その時は不良達が本当に猿に見えていた。 凪沙は何も考えず目の前の獲物を『狩る』ことに全力をかける。 気配を消して、追いかけて追いかけて、手足を潰して動けなくして、目を潰して喉を潰して、徹底的に潰して潰して潰して追い詰めて、そして最後に命を狩る。 凪沙は生まれつき人の生き死に対して感覚が鈍い。 それでもちゃんと倫理は分かっているし、人を殺すこともいけない境界線はちゃんと理解してる。しかしそのスイッチのストッパーが外れてしまえば凪沙は簡単に境界線を超えて、いつか本当に人を殺す。 凪沙のストッパーは武道。 凪沙は武道がいるからギリギリのところで踏みとどまってる状態。 誰かさんのなんとかの衝動とちょっと似てるかもね。 凪沙も、武道も、誰も知らない。 長々としたけど、生まれ持った性格や人格や価値観のせいで人とズレて、表の世界で生きずらい、生きていけない人っているよね。って話。13,397文字pixiv小説作品